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シャルリー・モテ : ミニ英和和英辞書
シャルリー・モテ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャルリー・モテ ( リダイレクト:シャーリー・モテ ) : ウィキペディア日本語版
シャーリー・モテ[ちょうおん]

シャーリー・モテ(Charly Mottet、1962年12月16日- )は、フランスヴァランス出身の元自転車競技選手。シャーリィ・モテという表記も見られる。
== 経歴 ==

1983年シリル・ギマール率いるルノー・エルフチームの一員としてプロデビュー。この当時、ベルナール・イノーがチームのエースであり、また、後にルノーのエースとなるローラン・フィニョン、さらにアメリカ人選手のグレッグ・レモンが在籍していた。翌1984年にイノーはレモンらを引き連れてルノーを飛び出してラ・ヴィ・クレールチームを結成するが、モテはフィニョンとともにチームに残る。その後はしばらく、フィニョンのアシストに回ったが、1986年世界自転車選手権・個人ロードでは2位に食い込んだ。
転機が訪れたのは1987年。エースのフィニョンが絶不調に陥っていたこともあり、同年のドーフィネ・リベレを制したモテが、この年のツール・ド・フランスでは、途中からフィニョンに替わってエースの座に君臨。一時はマイヨジョーヌを奪うなど、最後まで総合優勝争いの一角に加わった(最終順位は4位)。
1988年ジロ・ディ・ロンバルディアを制覇した他、最後のスーパープレスティージュ受賞にも輝く。1989年、ついにギマール、フィニョンと袂を分かち、R.M.Oチームに移籍。2度目のドーフィネ・リベレを制した他、UCI・ロードワールドランキングスにおいて、元チームメイトのフィニョンと首位争いを演じ、リアルタイムランキングでは2回に亘って「世界ランキング第1位」となり、また年間ランキングでも第2位(1位はフィニョン)となる。
1990年ツール・ド・ロマンディチューリッヒ選手権を制した他、ジロ・デ・イタリアではジャンニ・ブーニョに次いで総合2位。1991年ツール・ド・フランス総合4位の実績を残す。1992年、3度目のドーフィネ・リベレ制覇を果たしたが、モテがメジャーレースで活躍したのは事実上ここまでであった。
1994年に引退。引退後はツール・ド・フランスの主催運営者であるASOに勤務しながら、国際自転車競技連合(UCI)のアドバイザーも務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャーリー・モテ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Charly Mottet 」があります。




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