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シャルル・L・ビッチ : ミニ英和和英辞書
シャルル・L・ビッチ[しゃるるえるびっち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


シャルル・L・ビッチ : ウィキペディア日本語版
シャルル・L・ビッチ[しゃるるえるびっち]
シャルル・L・ビッチCharles L. Bitsch1931年4月23日 ミュルーズ - )は 、フランス映画監督撮影監督脚本家。10年にわたって、ジャン=リュック・ゴダール助監督であったことで知られる。
== 来歴・人物 ==

*1931年4月23日、フランス・オー=ラン県ミュルーズに生まれる。
*1952年、21歳のときに、ジャック・リヴェット監督の習作短篇『''Le Divertissement''』の撮影監督を引き受け、映画界でのキャリアが始まる。翌1953年フィリップ・ド・ブロカらと短い習作オムニバス映画『''Les Trois rendez-vous''』をつくり、初めて演出を手がける。ヌーヴェルヴァーグの本格的作品と呼ばれるリヴェットの『王手飛車取り』(1956年)では撮影のほかに、リヴェット、クロード・シャブロルと共同で脚本を手がける。エリック・ロメールの習作の撮影を経て、リヴェットの長篇デビュー作『パリはわれらのもの』(1960年)の撮影で長篇をものす。
*1958年、シャブロルの製作会社AJYMフィルムの本格的始動と映画監督としてのキャリアの開始にともない、シャブロルの助監督を始める。また、1961年、ゴダールとアンナ・カリーナの製作会社の始動に際し、助監督としての活動の場所をアヌーシュカ・フィルムに移す。10年の助監督生活の間にも、ゴダールを世に出したジョルジュ・ド・ボールガールによる若手俊英オムニバス2本『接吻・接吻・接吻』と『''La chance et l'amour''』とに監督として参加(後者は全話の撮影監督も兼務)、着実にキャリアを積む。やがて、1970年、アヌーシュカ・フィルム社の製作により、『''Le dernier homme''』で長編劇映画デビューを果たす。商業映画を離れ政治映画へと突入して行くゴダールのL・ビッチへのはなむけであったといえる。
*長編劇映画デビュー以降のL・ビッチは、テレビ映画ばかりを手がけ、現在も存命だが、劇場用新作を撮る気配はない。知られざるヌーヴェルヴァーグの生き証人のひとりである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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