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カルロ1世(イタリア語:Carlo I d'Angiò, 1227年 - 1285年1月7日)は、シチリア王(在位:1266年 - 1282年)、後にナポリ王(在位:1282年 - 1285年)。カペー系アンジュー家(アンジュー=シチリア家)の祖で、フランス王ルイ8世と王妃ブランシュ・ド・カスティーユの子。ルイ9世の末弟。シチリア王位に就くまでの活躍により、フランス語名を元にアンジュー伯シャルル、シャルル・ダンジュー(Charles d'Anjou)と表記されることが多い。本項でも以降シャルルと表記する。 フランス南部やイタリア北部に積極的な勢力拡大を行い、ローマ教皇の支持を得てホーエンシュタウフェン家を滅亡させシチリア王国を征服し、さらには東ローマ帝国の征服と地中海帝国の建設を夢見たが、シチリアの晩祷事件を契機に失敗に終わった。 == 生涯 == === プロヴァンス伯継承 === 1246年にシャルルはプロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の末娘ベアトリスと結婚し、プロヴァンス伯領を継承した。さらに、1247年にフランス王家からアンジュー、メーヌ伯領を親王采地として受け取った。しかし、プロヴァンス伯の妻のベアトリスや他の娘たちは、末娘のプロヴァンス継承に不満を唱えた。さらに、プロヴァンスは法的には神聖ローマ帝国(アルル・ブルグンド王国)領であり、支配下の諸侯やマルセイユ、アルル、アヴィニョン等の都市は大幅な自治を享受していたため、まもなくシャルルのフランス風の集権的な支配に対して不満を持ち、反乱を起こすようになった。シャルルが完全にプロヴァンスの反乱を鎮圧するには1262年までかかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カルロ1世 (シチリア王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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