翻訳と辞書
Words near each other
・ シャルル・フェルディナン・ダルトワ
・ シャルル・フランソワ・アントワーヌ・モレン
・ シャルル・フランソワ・デュフェイ
・ シャルル・フランソワ・デュ・フェ
・ シャルル・フランソワ・ド・ロレーヌ
・ シャルル・フランソワ・ドービニー
・ シャルル・フリーデル
・ シャルル・フレデリク・マルタンス
・ シャルル・フレデリック・ジラール
・ シャルル・フーリエ
シャルル・ブラン
・ シャルル・ブリュック
・ シャルル・ブルツ
・ シャルル・ブレ・グデ
・ シャルル・プリュミエ
・ シャルル・ベルラン
・ シャルル・ベルリング
・ シャルル・ペギー
・ シャルル・ペロー
・ シャルル・ボネ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャルル・ブラン : ミニ英和和英辞書
シャルル・ブラン[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

シャルル・ブラン : ウィキペディア日本語版
シャルル・ブラン[らん]

シャルル・ブラン(, 1813年11月17日 - 1882年1月17日)は、フランスの美術批評家、美術史家である。
もともと銅版画の教育を受けていたが、1836年からは雑誌への寄稿を行うようになった。芸術への政府の支援を訴える活動にも熱心であった。1848年、芸術省長官に任命された。1851年、長官を離任してからは批評家としての活動を再開した。1853年から14巻より成る『各派の画家たちの歴史』の執筆に着手し、1861年に第1巻を発表した。1859年にÉdouard Houssayeが『美術公報』(en) を創刊した時、ブランはその最初の編集長に任命された。『歴史』の執筆の傍ら、1867年には『デッサン芸術の文法』を発刊し、新印象派の画家たちに広く読まれた。1868年、芸術アカデミーに選出される。ヨーロッパの優れた美術品の複製を集めた美術館の設立を提案したが、これは激しい論争を引き起こした。1876年、『歴史』の功績によりウジェーヌ・フロマンタンを破ってアカデミー・フランセーズに選ばれた。晩年10年間は、コレージュ・ド・フランスで美術史を教え、イタリア・ルネッサンスの画家たちについての書物を書くことに費やした。兄はフランス第二共和政期の著述家・政治家であるルイ・ブラン〔Dictionary of Art Historians〕。
『デッサン芸術の文法』は、第1章「建築」、第2章「彫刻」、第3章「絵画」から成り、「絵画」の章で当時の最先端の色彩理論を紹介している。フィンセント・ファン・ゴッホはこの本を読んで補色などの理論を理解した〔新関 (2011: 78-79)。〕。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル・ブラン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.