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シャルロッテ・フェリーツィタス・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク : ミニ英和和英辞書
シャルロッテ・フェリーツィタス・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ロッテ : [ろって]
 【名詞】 1. lotte 2. (n) lotte
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャルロッテ・フェリーツィタス・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク : ウィキペディア日本語版
シャルロッテ・フェリーツィタス・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク[ちょうおん]

シャルロッテ・フェリーツィタスまたはカルロッタ・フェリーチタドイツ語:Charlotte Felicitas von Braunschweig-Calenberg;イタリア語:Carlotta Felicita di Brunswick-Calenberg, 1671年3月8日 - 1710年9月29日)は、モデナリナルド・デステの妃。
シャルロッテは北ドイツのブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の一部を支配するカレンベルク侯ヨハン・フリードリヒと妃ベネディクタ・ヘンリエッテ・フォン・デア・プファルツとの間の娘として、ヘレンハウゼン城で生れた。シャルロッテは4人姉妹の次女で、末の妹アマーリア・ヴィルヘルミーネ1699年神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世と結婚した。
シャルロッテは1696年にモデナ公リナルド・デステと結婚した。リナルドは先祖を同じくするモデナのエステ家とブラウンシュヴァイクのヴェルフ家との結びつきを深めようと考え、シャルロッテを妻に望んだのだった。二人の結婚式は、モデナの財政状況が厳しかったにもかかわらず非常に豪勢だった。シャルロッテは16歳年上の夫とのあいだに7人の子女をもうけ、1710年に7人目の子供を生んだ時、生まれた子供と一緒に亡くなった。シャルロッテはモデナのサン・ヴィンツェンツォ教会に葬られた。
== 子女 ==

*ベネデッタ・エルネスティーナ(1697年 - 1777年)
*フランチェスコ3世(1698年 - 1780年)
*アンナ・アマーリア・ジュゼッパ(1699年 - 1778年)
*ジョヴァンニ・フェデリーコ(1700年 - 1727年)
*エンリチェッタ(1702年 - 1777年) - 1728年にパルマ公アントニオ・ファルネーゼと初婚、1740年にレオポルト・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットと再婚
*クレメンテ(1708年、夭折)
*娘(1710年、死産)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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