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シャンパーニュの大市(シャンパーニュのおおいち、Les grandes Foires de Champagne)は、12世紀頃から13世紀にかけて、フランス北東部、シャンパーニュ平原の諸都市で開かれた大規模な交易市である。 == 概要 == シャンパーニュは、マース・モーゼル・セーヌの河川に囲まれ、輸送手段として船が多用された当時の欧州において、東西南北に通ずる絶好の地理条件を持っていた。ローマの詩人であるシドニウス・アポリナリスが5世紀にシャンパーニュとブリーの市について記している〔ウォルフォード 『市の社会史』 p244〕。 シャンパーニュの大市は、ぶどうを産しない地方の商人がワインを入手するための季節市場が起源とされる。やがて低地地方からの毛織物や毛皮の取引が増え、それを求めて東方の商品を持ち込むイタリア商人をはじめ、ヨーロッパ各地の商人が集まる場となった。この地域を統治したシャンパーニュ伯は、対外戦争よりも市場を保護した方が利益になると考えた。シャンパーニュ伯は、11世紀末から12世紀前半にかけて、大市の開催サイクルを整えた。領内の6ヵ所の年市の開催時期を調整し、年間を通して年市が開催されるようにしたのである。同様の年市サイクルは、フランドル伯領や、ブルゴーニュ公領でも見られた〔大宅「フランス中世の地方都市と市場」〕。シャンパーニュ伯は市場の自主性を保証して1154年にラニーの市税を免除するなど、商人の保護に尽力することと引き換えに、領内の経済を活性化して富を得ることになった。 ヴェネツィア、ジェノヴァなどのイタリア商人の支配する地中海商業圏と、ハンザ同盟が主軸を成した北欧商業圏が、中間地点であるシャンパーニュで交易を行った。イタリア商人のもたらす香辛料、染料、医薬品、宝石、絹織物など、軽くてかさばらない東方奢侈品と、北欧・イングランド・ロシアからもたらされた羊毛、毛皮、蝋、蜂蜜、ニシン、木材、小麦、卑金属類など重くてかさばる産業財・生活必需品が、一堂に取引された大国際市場であった。 14世紀に入ると、シャンパーニュ伯であったルイ10世がフランス王に即位し、シャンパーニュは1314年に国王領となる。この頃から、国家財政の悪化につれて税金が高騰する。また、流通が活発になるにつれて週市や常設店舗が年市よりも重要性を増した。一方、イタリア商人は羅針盤を手に入れ、1274年には北海にジェノヴァのガレー船が姿を見せ、1277年にジェノヴァ商人のスピノラ家がフランドルのズウィン湾に到達し、フランドル・イングランドまで直行するに至る。こうして、シャンパーニュの大市は国際市場としての役割を終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャンパーニュの大市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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