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吾妻 ひでお(あづま ひでお、1950年〔『逃亡日記』プロフィール〕2月6日 - )は、日本の男性漫画家。北海道十勝郡浦幌町〔〔宝町出身。本名は吾妻 日出夫(あづま ひでお)〔『失踪日記』p.223〕。血液型はO型。 == 概要 == 1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。以後、SF・ナンセンス色の強い作風で徐々に人気をえる。『週刊少年チャンピオン』で当時流行していたハレンチコメディ路線の『ふたりと5人』(1972年〜1976年)を連載し、それなりにヒットする。 同連載が終了したのち、マイナー誌等でSF・ロリコン・ナンセンスの要素をふんだんに湛えたマニアックな作品を続々と発表し、「吾妻ブーム」が起こった。 1978年に発表した『不条理日記』は翌1979年に日本SF大会で星雲賞(コミック部門)を受賞、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている〔『夜の魚―太田COMICS芸術漫画叢書』の大塚英志による解説『吾妻ひでおを再び「流通」させる理由』で大塚は、当時一世を風靡していた吉田戦車を「不条理漫画」の祖と持ち上げる風潮に異をとなえ、吾妻こそがそれだと主張した。ただし「不条理漫画」的な作品は吾妻以前にも、つげ義春の「ねじ式」や蛭子能収、秋竜山の諸作品などがあり、手塚治虫は『マンガの描き方』(光文社カッパ・ホームス 1977年刊)でそれらを「不条理ギャグ」として取り上げている〕。 1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に作品を発表。自販機本(ビニール本・エロ本)などにもロリコンマンガを発表した。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であり、商業誌、同人誌ともに吾妻はこの分野の開拓者である。 1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院した。2005年にそれらの体験を描いた『失踪日記』を出版し、注目を浴びた(帯には漫画家のとり・みきとミュージシャンの菊地成孔が推薦文を寄せている)。 2011年、明治大学博物館で展覧会が開かれた〔明治大学TOP > 東京国際マンガ図書館 > 米沢嘉博記念図書館TOP > 吾妻ひでお展_2010年度 〕。 2013年、西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた〔吾妻ひでお原画展 公式サイト 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吾妻ひでお」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hideo Azuma 」があります。 スポンサード リンク
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