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シャーイスタ・ハーン : ミニ英和和英辞書
シャーイスタ・ハーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャーイスタ・ハーン : ウィキペディア日本語版
シャーイスタ・ハーン[ちょうおん]

シャーイスタ・ハーン(Shaista Khan, 生年不詳 - 1694年)は、北インドムガル帝国デカン総督及びベンガル太守。第5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルの兄弟、第6代皇帝アウラングゼーブの叔父にあたる。
==生涯==

生年不明ながら、ムガル帝国の貴族アーサフ・ハーンの息子として生まれた。姉妹にはムムターズ・マハルがいる。
1660年、シャーイスタ・ハーンは皇帝アウラングゼーブによりデカン総督に任命され〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.213〕、アウランガーバードに到着したのち、マラーターの討伐にあたった。
1663年、シャーイスタ・ハーンはプネーバーラーマティーチャーカンなどのマラーターの拠点を占拠した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.〕。だが、4月5日、シャーイスタ・ハーンはシヴァージーにプネーの軍営を襲撃され、この戦いで指を切られた。その際、彼の息子が殺害された。
同年、ベンガル太守ミール・ジュムラーが死亡し、ベンガルが混乱したため、1664年からシャーイスタ・ハーンが後任の太守として赴任した〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.70〕。以後、1688年までその地位にあった〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.70〕。
1666年、シャーイスタ・ハーンはアラカン王国からチッタゴンを奪還した〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.70〕。その後、チッタゴンはアウラングゼーブの命により、イスラマーバードと改められた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.70〕。また、離反していたクーチ・ビハールに対しても攻撃を行い、支配下に置いた。
1673年、シャーイスタ・ハーンはフランス人フーグリー川岸に居留地を建設することを許した。これがシャンデルナゴルの建設に繋がった。
1688年、シャーイスタ・ハーンはベンガル太守を退任後、ダッカを離れ、帝都デリーで暮らした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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