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シャーフージー : ミニ英和和英辞書
シャーフージー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャーフージー : ウィキペディア日本語版
シャーフージー[ちょうおん]

シャーフージーマラーティー語:शाहुजी, Shahuji, 1672年 - 1712年?)は、南インドタミル地方タンジャーヴール・マラーター王国の君主(在位:1684年 - 1712年)。シャハージー(Shahaji)、シャーフージー1世(Shahuji I)とも呼ばれる。
==生涯==
1684年、父王ヴィヤンコージーが死亡あるいは退位したことにより、王位を継承した〔Tanjore 2
1686年、名目上の忠誠を誓っていたビジャープル王国ムガル帝国に滅ぼされ、1689年マラーターサンバージーが殺害されると、弟のラージャーラームシェンジへと逃げた。
1687年、ムガル帝国にバンガロール一帯を奪われ、のちにこの地はマイソール王国ジャーギール(封土)として与えられた〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p171〕。その際、マイソール王チッカ・デーヴァ・ラージャよりその代償として30万ルピーを支払い、同地を購入する形をとった〔Mysore 3 〕。
1690年以降、ムガル帝国はシェンジを包囲したが、タンジャーヴール・マラーター王国は籠城軍に援軍を派遣し、包囲軍に攻撃を仕掛けた。
しかし、タンジャーヴール側も劣勢となり、1691年からはその主権保持を理由に40万ルピーの貢納を払わされ、1697年にはカルナータカ太守ズルフィカール・ハーンマドゥライ・ナーヤカ朝マンガンマールから割譲された土地を再割譲させられた。
1698年、ムガル軍がシェンジを落とし、デカンへと主力が戻ると、シャーフージーは領土の奪還に成功した。
1700年代以降、シャーフージーはマドゥライ・ナーヤカ朝やラームナードゥパーライヤッカーラルと領土を争うようになった。
1712年、シャーフージーはタンジャーヴール城で死亡し、弟のサラボージーが王位を継承した〔Tanjore 2 。ただし、王位を譲ってヨーガ行者となったとも伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャーフージー」の詳細全文を読む




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