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シュクデン派 ( リダイレクト:シュクデン ) : ウィキペディア日本語版 | シュクデン[は] シュクデン(Shugden)とは、チベット仏教の最大宗派ゲルク派内部において自派の伝統を純粋に保持しようとする保守派によって祀られてきた護法尊である。ドルジェ・シュクデン(Dorje Shugden)またはドルギャル (Dolgyal)とも呼ばれる。 シュクデン信奉者たちは、400年近くにわたってニンマ派を弾圧するとともに、ニンマ派に寛容な内部勢力を粛清する活動を行ってきた。このことが、現在にも尾を引く政治と宗教の両面における問題となっている。現在、ダライ・ラマ14世によってシュクデン信仰は禁止されており、シュクデン派はチベット仏教の主流派からは異端とみなされている。それに対し、シュクデン派は欧米において独自の活動を行うとともに、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府に真っ向から対立している。 ==起源==
17世紀半ば、ニンマ派をはじめとする他宗派との協調関係を基礎にして全チベットを平定しようとするニンマ派の旧家出身のダライ・ラマ5世陣営と、それに反対するゲルク派保守派陣営は、政治および宗教上の深刻な対立関係に陥っていた。長い内戦の末、最終的には、モンゴル軍を背景にしたダライ・ラマ5世側が勝利して、ガンデンポタン政権を樹立した。その際、宣託神ネチュンを含むニンマ派の教義を政府の公式な儀礼体系に組み込み、ミンドルリン寺、ドルジェタク寺、ゾクチェン寺のようなニンマ派の大寺院建設を全面的に支援したことがゲルク派保守派の反発を呼んだ。そのような対立の中で、保守派の代表的な高僧トゥルク・タクパ・ギャルツェンが早世し、死因に嫌疑がかけられた。ゲルク派の保守派は、タクパ・ギャルツェンはダライ・ラマ5世側の陰謀によって殺害されたと主張した。ダライ・ラマ5世は、タクパ・ギャルツェンの慰霊堂を建立して土地神シュクデンを守護神とし、サキャ派に管理を委託した。ゲルク派の保守層の一部が、このシュクデンこそがタクパ・ギャルツェンの生まれ変わった姿であり、ゲルク派の教義の純粋性を守る守護神であるとみなしてカルト化したため、ダライ・ラマ5世は一転してこれを禁教とした。これ以後、シュクデンはゲルク派の保守派のセクト主義活動のシンボルとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シュクデン」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dorje Shugden 」があります。
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