翻訳と辞書
Words near each other
・ シュテファン1世 (バイエルン公)
・ シュテファン2世
・ シュテファン2世 (バイエルン公)
・ シュテファン3世
・ シュテファン3世 (バイエルン公)
・ シュテファン3世 (モルドヴァ公)
・ シュテファンスプラッツ駅
・ シュテファン・アントン・レック
・ シュテファン・エッフェンベルク
・ シュテファン・エバーハーター
シュテファン・エンドリヒャー
・ シュテファン・オシュポヴィッチ・マカロフ
・ シュテファン・キースリンク
・ シュテファン・キースリング
・ シュテファン・クライナー
・ シュテファン・クレール
・ シュテファン・クロス
・ シュテファン・クンツ
・ シュテファン・クヴァント
・ シュテファン・グリヒティング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シュテファン・エンドリヒャー : ミニ英和和英辞書
シュテファン・エンドリヒャー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テフ : [てふ]
 (n) TeX, (n) TeX
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シュテファン・エンドリヒャー : ウィキペディア日本語版
シュテファン・エンドリヒャー[ちょうおん]

シュテファン・エンドリヒャー(Stephan Ladislaus Endlicher 別名 István László Endlicher、1804年6月24日 - 1849年3月28日) は、オーストリア植物学者歴史学者中国学者である。ウィーン大学植物園の園長を務めた。
==生涯==
ブラチスラヴァ(現在はスロバキア)に生まれた。神学を学んだ。1828年にオーストリアの写本資料を整理するために国立文書館の仕事についた。同時に博物学とくに植物学や東アジアの言葉を学んだ。
1836年に王室の自然史のキーパーに任じられ、1840年にウィーン大学教授、植物園長に任じられた。植物学の多くの著作を行った。フランツ・ウンガー(Franz Unger)の『植物学の基礎』("''Grundzüge der Botanik''")に多くの図版を加えて再刊した。オーストリア帝立科学アカデミー(Akademie der Wissenschaften)の設立を主導したが、会長にはヨーゼフ・プラマー・フォン・プルグスタール(Joseph Hammer von Purgstall)男爵が選ばれ、アカデミーの仕事から退いた。蔵書と標本を国に寄付し、10年以上毎週数時間皇帝のサークルで過ごしたが、評議員の地位を受けただけだった。
自由主義者として知られたが、1848年の革命では仲介者として働くことを求められたが、しばらくウィーンを去らざるをえなくなった。1848年にはフランクフルト議会の議員になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シュテファン・エンドリヒャー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.