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シュトラースブルクの戦い : ミニ英和和英辞書
シュトラースブルクの戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

シュトラースブルクの戦い ( リダイレクト:アルゲントラトゥムの戦い ) : ウィキペディア日本語版
アルゲントラトゥムの戦い[あるげんとらとぅむのたたかい]

アルゲントラトゥムの戦い:Bataille d'Argentoratum, :Schlacht von Argentoratum)は、357年ユリアヌス率いるローマ帝国軍とクノドマル王率いるアレマンニ族との間で戦われた会戦である。アルゲントラトゥムとは現在のストラスブールであり、この会戦はストラスブールの戦いとも呼ばれる。
== 背景 ==
357年春、前年に続いてクノドマル率いるアレマンニ族は35000人の軍勢をライン左岸に進め、ローマ帝国領ガリアに侵攻した。一方、それを迎え撃つユリアヌスは355年に従兄の正帝コンスタンティウス2世によって蛮族の蹂躙を受けていたガリアを防衛するために副帝に任命され、ガリアに赴任したばかりだった。この青年はギリシア哲学には親しんでいたが、軍事の経験はなかった。彼は軍事訓練において「おお、プラトン、プラトン、なんという難業か、哲学者にとっては!」と叫ぶほど苦労したが、「彼が修めてきた哲学的思索は、彼の心に最も崇高な教訓と最も輝かしい実例を教えていたばかりか、勇気への愛、名声への欲望、そして死への蔑視をもって彼の魂を鼓舞していた。また学園生活で教えられた節制の習慣は、厳しい軍営での規律においてははるかに不可欠な美徳だった」〔ギボン, p. 204-205〕。
357年の時点でユリアヌスが率いていたローマ軍の兵力は13000人と、敵に比べて明らかに劣勢だった。折りしもコンスタンティウスは、アレマンニ族を壊滅させようとしてマギステル・ミリトゥムバルバティオを25000人の軍勢と共に、イタリアからガリアへ送っていた。このため、ユリアヌスは自身の軍とバルバティオの軍でもって敵を挟撃しようと計画した。しかし、バルバティオはアレマンニ族の攻撃を受けてすぐに敗走し、ガリアを去った。このためにユリアヌスは手元のわずかな兵力だけでアレマンニ族と戦わざるを得なくなった。しかしこの時、彼は「分散状態にあるアレマンニ族軍を括弧撃破するなどという面倒で不確実な作戦に出るよりは、むしろ一挙に総決戦の機を選んだのだった」〔ibid, p. 211〕。
バルバティオを破ったアレマンニ族はアルゲントラトゥムへと進軍し、両軍はライン川の西岸で遭遇した。両軍が会した時、既に日は沈みかけており、ユリアヌスは戦いを翌日に延ばして兵士の英気を養おうとしたが、将兵は即時の戦いを求めたため、それに応じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルゲントラトゥムの戦い」の詳細全文を読む




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