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シュパイアー大聖堂は、ドイツの都市シュパイアーに聳える赤い砂岩でできた巨大なバシリカ式聖堂である。その正式な名称は「聖マリア・聖ステパノ大聖堂」だが、しばしばシュパイアーの皇帝大聖堂(Kaiserdom zu Speyer)とも呼ばれる〔speyer.de | Speyer Cathedral . Information from home page. Retrieved 5 December 2006. 〕。 廃墟となったクリュニー修道院とともに、シュパイアー大聖堂はロマネスク様式最大級の聖堂である。1981年に大聖堂はユネスコの世界遺産に登録された〔Welterbestätten Deutschland (UNESCO World Heritage Germany) Speyer Cathedral . Retrieved 5 December 2006. 〕。 == 「皇帝大聖堂」 == この大聖堂はコンラート2世が自身の永眠の場所として建造するよう命じたもので、1030年から1061年にかけて建造された。のちには、さらに7人の神聖ローマ皇帝、ドイツ王たちやその妻の幾人か、そして多くの僧侶たちが葬られた。皇帝たちや王たちの墓石は、元々は聖餐台正面の中央通路に位置していたが、長い年月の間に正確な位置についての知見は失われていた。1900年になって一大発掘計画が実行され、墓所が発見され、開かれた。そこで発見された中身のいくつか、つまり服飾品などは、大聖堂近くのプファルツ歴史博物館で見ることができる。皇帝や王たち、そして幾人かの妻たちの修復された柩は、1906年に聖餐台の地下に建設された地下聖堂(Krypta)に安置しなおされており、一般にも公開されている。 シュパイアー大聖堂に葬られた皇帝たちや王たちは以下の通りである。 * コンラート2世(1039年没)とその妻ギゼラ(Gisela, 1043年没) * ハインリヒ3世(1056年没) * ハインリヒ4世(1106年没)とその妻ベルタ(Bertha, 1087年没) * ハインリヒ5世(1125年没) * ブルゴーニュ女公ベアトリス1世(Beatrice I, 1184年没。フリードリヒ1世の二人目の妻)とその娘アグネス(Agnes) * フィリップ(1208年没。フリードリヒ1世の息子) * ルドルフ1世(1291年没) * アドルフ(1298年没) * アルブレヒト1世(1308年没) ドイツでこの時期に皇帝の示教で建てられた他の大聖堂(ヴォルムス、マインツ)と同じく、この大聖堂も「皇帝大聖堂」(Kaiserdom)と呼ばれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シュパイアー大聖堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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