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シュプリンガー・リンク : ミニ英和和英辞書
シュプリンガー・リンク[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シュプリンガー・リンク ( リダイレクト:シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア ) : ウィキペディア日本語版
シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア[ちょうおん]

シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア(, Springer)とは、科学Science)、技術Technology、工学など)、医学Medicine)、すなわちSTM関連の書籍、電子書籍査読済みジャーナル出版するグローバル企業である。シュプリンガーはまた、"SpringerLink"(「シュプリンガー・リンク」)〔
〕、"SpringerProtocols"(「」)〔
〕、"SpringerImages"(「シュプリンガー・イメージ」)〔
〕、"SpringerMaterials"(「シュプリンガー・マテリアル」)〔
〕などいくつかの科学データベース・サービスのホスティングも行っている。
出版物には、参考図書(Reference works、レ(リ)ファレンス・ワークス)、教科書モノグラフ(Monograph)、(Proceedings)、叢書など多数が含まれる。また、シュプリンガー・リンクには45,000以上のタイトルが自然科学など13の主題・テーマで集められており〔、それらは電子書籍として利用可能である〔。シュプリンガーはSTM分野の書籍に関しては世界最大の出版規模を持ち、ジャーナルでは世界第2位である〔
〕(第1位はエルゼビア)。
多数のインプリントや、20ヶ国に約55の発行所(パブリッシング・ハウス)、5,000人以上の従業員を抱え、毎年約2,000のジャーナル、7,000以上の新書(これにはSTM分野だけではなく、B2B分野のものも含まれる)を発刊している〔。シュプリンガーはベルリンハイデルベルクドルトレヒトニューヨークに主要オフィスを構える。近年成長著しいアジア市場のために、アジア地域本部を香港に置いており、2005年8月からは北京に代表部を設置している〔
〕。
2015年5月、シュプリンガー・サイエンス+ビジネスメディアとマクミラン・サイエンス・アンド・エデュケーションの大半の事業の合併が、欧州連合や米国司法省などの主要な公正競争監視機関により承認された。新会社の名称は「シュプリンガー・ネイチャー(Springer Nature)」。
== 歴史 ==
1842年ユダヤ人イジドール・シュプリンガー(Isidor Springer)の息子〔
〕、ユリウス・シュプリンガープロイセン王国ベルリンSpringer-Verlag(シュプリンガー・フェアラーク、すなわちシュプリンガー出版社)を創業した〔
〕。
のちに、ユリウスの息子、(Ferdinand Springer senior, 1846-1906)は、弟フリッツ・シュプリンガー(Fritz Springer, 1850-1944)と共に父ユリウスよりシュプリンガー・フェアラークを引き継いだ〔。ユリウスの息子たちの時代に同社は理工学系書籍を主として取り扱うようになり、学術雑誌の発刊にも漕ぎ着けている〔。
フェルディナント・ゼニオールの死後、フリッツはフェルディナント・ゼニオールの息子、(Ferdinand Springer junior, 1881-1965)と自身の息子、ユリウス・シュプリンガー・ユニオール(Julius Springer junior)に社を引き継いだ〔
〕。シュプリンガー・フェアラーク第3代社長となったフェルディナント・ユニオールとユリウス・ユニオールは、不景気とヴァイマル共和政時代の社会不安が漂う中、同社をドイツ有数の理工学系出版社に成長させた〔。
1920年代には、ツァイトシュリフト・フュア・フィジークにおいて、ハイゼンベルクパウリボルンなどの物理学者による量子力学の革新的な論文が多数掲載された。
しかし、ナチスの台頭以後、状況が一変した。ナチスの反ユダヤ主義政策により、ユダヤ人研究者の書籍、ジャーナルに発禁処分が下された。また„Sächsische Ärzteblatt“("Saxonian Medical Journal"、「ザクセン医学雑誌」)などによる、反ユダヤ主義に基づいた「反シュプリンガー批判」がドイツ医学雑誌界に巻き起こった〔。ナチス党員でもある出版社社長ヴィルヘルム・バウアー(Wilhelm Baur, 1905–1945)は「シュプリンガーのアーリア化」を主張した(強制的同一化)〔。シュプリンガーは、ナチスが考える、アーリア人種が学ぶべき分野の書籍のみ出版が許された。また1935年9月15日の(ニュルンベルク法の1つ)により、3人の祖父母がユダヤ人であったユリウス・ユニオールは「2級市民」〔
Staatsbürger、領邦市民。ライヒ市民法では、"Reichsbürger"(「ライヒ市民」)という「1級市民」を表す用語が新たに創られ、これが支配階級のいわゆる「アーリア人種」を意味する。
〕、「法的な意味でのユダヤ人」とされ公民権を強制的に停止させられた〔
〕。一方フェルディナント・ユニオールは同法によると「半ユダヤ人」と見なされた〔〔。ライヒ文化院
ナチス・ドイツ時代の文化・芸術を一手に引き受けた国民啓蒙・宣伝省所管の組織。ドイツの芸術家はここへの登録を義務付けられた。登録拒否および追放は、当時のドイツで活動する芸術家にとって「職業上の死」を意味する。
〕傘下の(Reichsschrifttumskammer, RSK)はこの法に基づき、フェルディナント・ユニオールに、直ちにユリウス・ユリオールを同社から追放するよう要求した〔。同年10月10日、フェルディナント・ユニオールは、やむなく、「ユリウスの同社からの離脱を承認」した〔。1938年以後、ユリウス・ユニオールはしばらくの間ザクセンハウゼン強制収容所に収監された〔。フェルディナント・ユニオールは言論の自由を守ろうとドイツ国内で支持者を集めるため奔走したが、その甲斐なくその後同社は国内での出版を停止した。ただ、フェルディナント、ユリウスから社を引き継いだテニェス・ランゲ(Tönjes Lange)がヒャルマル・シャハトと親しい関係にあったため、会社自体は消滅を免れ、また輸出は禁じられていなかった〔。
第二次世界大戦後、同社は再建を開始した。テニェスとフェルディナント〔、後にユリウスも経営に復帰した〔。1946年、戦後初となる本格的な出版物、カール・ヤスパースの„''Die Idee der Universität''“(ISBN 3540100717)を刊行した〔〔
1923年に発表され、ドイツの大学の構造的、精神的な面を分析し、「大学の自治」、「学問の自由」を維持するための意見を述べた同名書の第二版。初版に対し、ナチス時代の荒廃からドイツの大学を再建するための提案を加筆している。

英訳"The idea of the university"は(1959年)、Peter Owen Ltd.(1965年)など。


日本語訳『大学の理念』は「ヤスパース選集」第2巻(森昭訳。1950年理想社絶版)ならびに1999年単行本として理想社から次が出版されている。
〕。
1957年に共同経営者となったハインツ・ゲッツェ(Heinz Götze)は、シュプリンガー・フェアラークをドイツの出版社から国際的メディア企業へと進化させる舵取り役を担った〔。1964年からは、ビジネスを国際的規模に拡大させ、ニューヨークに事務所を開設した。続いてまもなく東京パリミラノ、香港、デリーにも事務所を置いた(国外の主要事務所は、これ以前には1924年に開設したウィーン支社程度しか存在しなかった〔)。またゲッツェの時代から英書出版を事業の中核に据えている〔。
1999年、ドイツの出版社ベルテルスマンがシュプリンガー・フェアラークの支配権を得るに至り、学術出版企業BertelsmannSpringer(ベルテルスマンシュプリンガー)が誕生した〔〔
〕〔
〕。
2003年にはイギリス投資企業グループ、(Cinven)と(Candover Investments)がベルテルスマンからベルテルスマンシュプリンガーを買収した〔〔
〕〔
〕〔
〕。同企業集団は2002年オランダの情報サービス・出版企業ヴォルタース・クルーワー(Wolters Kluwer)から買収した出版社、Kluwer Academic Publishers(クルーヴァー・アカデミック・パブリッシャーズ、KAP)〔
〕〔
〕を2004年にベルテルスマンシュプリンガーと合併させた〔
〕〔
〕。新社名はSpringer Science+Business Media(シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア)となった。
2009年、シンヴェンとキャンドーヴァーはシュプリンガーを2つのプライベート・エクイティ・ファーム、とシンガポール政府投資公社に売却した〔
〕〔
〕〔
〕〔
〕。米国欧州の競争当局が譲渡を承認した後、2010年2月、売却取引の終了が確定した〔
〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Springer Science+Business Media 」があります。




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