翻訳と辞書
Words near each other
・ シュリーヴポート (ドック型揚陸艦)
・ シュリーヴポート (ドック型輸送揚陸艦)
・ シュリーヴポート (哨戒フリゲート)
・ シュリー・カンティーラヴァ・スタジアム
・ シュリー・シュリー・ラヴィ・シャンカル
・ シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷
・ シュリー・シヴ・チャトラパティ・スポーツコンプレックス
・ シュリー・シヴ・チャハトラプティ・スポーツコンプレックス
・ シュリー橋
・ シュリー=シュル=ロワール
シュリー=シュル=ロワール城
・ シュル
・ シュルギ
・ シュルギの自賛
・ シュルギ王
・ シュルギ王讃歌
・ シュルク
・ シュルクフ
・ シュルクーフ
・ シュルクーフ (フリゲート)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シュリー=シュル=ロワール城 : ミニ英和和英辞書
シュリー=シュル=ロワール城[しゅりーしゅるろわーるじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

シュリー=シュル=ロワール城 : ウィキペディア日本語版
シュリー=シュル=ロワール城[しゅりーしゅるろわーるじょう]

シュリー=シュル=ロワール城(Château de Sully-sur-Loire)はフランスロワレ県ロワール渓谷内にあるのシュリー=シュル=ロワールに位置する城。宮殿に転用されたこともある。
世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。

== 歴史 ==
シュリー城は、アンリ4世の大臣マクシミリアン・ド・ベテュヌ(Maximilien de Béthune、1560年~1641年)を始めとする歴代シュリー公爵の居城である。
シュリー城は城塞(château-fort)であり、ロワール川を渡ることができる貴重な地の一つを支配するために築かれた。
この地の要塞化は、おそらくはゴール人の時代、遅くとも11世紀初期には始まったと考えられる(1102年に書かれた資料に言及がある)。1218年には、フィリップ2世が本丸を築いている。
要塞を受け継いだギー・ド・ラ・トレモイユ(Guy de la Trémoille)は1395年、側面の4つの塔(Donjon)の建設に取り掛かった。
もう一方に加えられた16世紀の「 Petit Château 」は、より気持ちのよい宿泊施設を提供している。
シュリー公はこれを改造した。
シュリー公はこの地を1602年に購入、庭園と要塞を拡張した。
彼は堤防を強化して、ときおり起こる氾濫から町を守ろうとした。
シュリー=シュル=ロワール城は1962年まで一族の資産であったが、その年にロワール県の所有となり、多くの修復がなされている。
毎年6月にはクラシック音楽のフェスティバルが開かれる。
城には多くのタペストリーがあり、その中には17世紀の壁掛け布6枚組セット「 Tenture de Psyché 」や、シュリー家代々の肖像画、17世紀の家具などがある。シュリー公と彼の二番目の妻の墓もここにある。
アンリ4世がこの城を訪れることはなかったが、マザランアンヌ・ドートリッシュが1652年3月、フランス内戦のフロンドの乱を避けてここに避難している。
テュレンヌ元帥が同年城に滞在したのは、ブレンヌの戦いで大コンデ公に敗北する前のことである。
その後1716年と1719年に、城にはヴォルテールがかくまわれたが、彼はオルレアン公爵フィリップ2世を侮辱した罪でパリ追放の憂き目を見たのであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シュリー=シュル=ロワール城」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.