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都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年6月21日 - )は、日本の作曲家。東京都出身。日本以外ではシュン・トクラ名義で活動している。 ==来歴・人物== 4歳のころからバイオリンを習う。父都倉栄二が外交官であったことから、小学生時代・高校時代をドイツで過ごし、そこで音楽の基礎を学んだ。学習院中等科の同級生に元総務大臣の鳩山邦夫、東京大学名誉教授の能見善久、シティバンク銀行会長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる〔「同級生交歓 > 学習院中等科」 文芸春秋2013.05.01〕。学習院大学時代には、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」にヴォーカリストとして参加、1968年にレコード・デビューを果たす。大学2年生の時から作曲家活動を始め、デビュー作は中山千夏の「あなたの心に」(1969年)。 1970年代にはピンク・レディーや山口百恵などアイドルの曲を手がけヒットを連発。この頃、NHKの歌番組『レッツゴーヤング』、日本テレビのコメディ番組『ぎんぎら!ボンボン!』の司会や、オーディション番組『スター誕生!』などの審査員も務めた。 かつてはプレーボーイとして知られ、1974年には歌手・女優の大信田礼子と結婚するも、都倉自身が家庭において異常とも言えるほどのマザコンぶりを発揮したために愛想を尽かされ1978年に離婚(TVで大信田が証言)。 かつては鈴木雄大や南野陽子を擁した芸能プロダクション「株式会社エスワン・カンパニー」を経営していたが、1989年に南野が独立した後、倒産。南野とは独立時に確執があったと一部で報道された。 プブとごんのすけと言う名のゴールデン・レトリバーを飼っている。2006年に再婚。Jリーガーの都倉賢は甥。パイロットの資格を持っている。 1983年から音楽活動の拠点をロサンゼルスに移し、ミュージカルの制作も手がける傍ら、日本音楽著作権協会理事を務め、2010年8月12日より船村徹の後を受けて会長に就任した〔都倉俊一正会員が新会長に就任 JASRAC Press Release 2010年8月12日付〕。 ニコニコ動画の「ニコ生☆生うたオーディション」にて審査委員長を務める。 2012年には新国立競技場の有識者会議メンバー(スポーツWG座長)、および国際デザインコンペの審査委員を務めた〔「施設建築ワーキンググループ」議事録検証 東京新聞 2014年10月5日〕。 2015年3月23日付けで横綱審議委員会の委員に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「都倉俊一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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