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ショウナンアルバは、日本の競走馬である。2008年の共同通信杯を制した。 半姉に2007年のフラワーカップを制したショウナンタレントがいる。 馬名の「ショウナン」は冠名、「アルバ」はスペイン語で夜明けの意味。 == 戦績 == 2007年7月1日、福島第5競走の2歳新馬戦に蛯名正義騎乗でデビュー、2着に敗れる。7月28日に新潟の未勝利戦に出走。1番人気に応えて初勝利を挙げる。その後放牧に出された。 2008年1月26日に中山の若竹賞(500万下)に出走。スタートから先頭に立ち、そのまま押し切ってゴールし2勝目。2月11日、前日降った雪の影響で1日順延となった、東京の共同通信杯に出走。スタート直後に前に行きたがったものの最後の直線では抜け出し、3連勝で重賞初勝利。また父ウォーエンブレムの産駒としても重賞初勝利となった。その後のスプリングステークスでは、前走同様前に行きたがり、途中から先頭に立つも、最後は後続に交わされ3着だった。そして、4月20日の皐月賞では3番人気に支持されるも、完全に折り合いを欠き、3コーナーから前に進出するも早々に失速して14着と大敗した。続く6月1日の日本ダービーは12着と大敗した。秋初戦となる初の古馬との対戦富士ステークスでは武豊に乗り代わったが6着だった。本番のマイルチャンピオンシップでは12着に敗れた。 2009年は1月5日の京都金杯から始動したが、9着に敗れた。続く東京新聞杯では最下位の16着に終わった。 続く六甲ステークスでは4着と久々に掲示板を確保した。その後、4月5日のダービー卿チャレンジトロフィーでは15着、4月25日のオーストラリアトロフィーでは11着と2戦続けて殿負けに終わった。その後準オープンに降級となり、10月18日の白秋ステークスに2番人気で出走したが、終始後方のまま12着と大敗した。続く10月31日の紅葉ステークスでは中団追走も失速し15着と大敗した。その後、初のダート戦となったサンタクロースステークスでは16着と殿負けに終わった。 2010年は3月20日の韓国馬事会杯から始動したが、ブービーの13着と大敗した。続く4月25日のフリーウェイステークスでは中団のやや後ろから追い込んで2着と好走した。5月23日の東京クラウンプレミアムでは見せ場なく14着に終わった。6月26日のテレビユー福島賞では中団追走から脚を伸ばして共同通信杯以来の勝利を収めた。その後8月28日の朱鷺ステークスに出走予定だったが、感冒のため出走取消となった。9月12日のセントウルステークスに出走したが、終始後方追走のまま11着と大敗を喫した。10月30日のスワンステークスでは後方から鋭く追い込んで2着と好走するも、11月13日のオーロカップでは見せ場なく13着、12月18日の阪神カップでは出遅れが響いて10着と大敗した。 2011年は1月10日の淀短距離ステークスから始動したが、またしても出遅れて9着に敗れた。続く3月5日のオーシャンステークスでは中団から脚を伸ばすも6着、高松宮記念では後方から追いあげたが6着。京王杯スプリングカップでは中団追走も失速し16着と大敗。その後7月31日のUHB杯に出走したが見せ場なく9着、8月28日のキーンランドカップでは人気通りの10着。その後11月12日のパラダイスステークスでは中団追走も失速し13着と大敗した。12月17日のディセンバーステークスでは16着と殿負けに終わった。 2012年は3月31日の障害未勝利から始動したが、終始かかり気味となり、13着と大敗した。7月7日の障害未勝利戦に出走したがレース中に故障発症、競走中止となった。その後、8月10日付けで競走馬登録を抹消、茨城県阿見町の大瀧ステーブルで乗馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショウナンアルバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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