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ショセ=ダンタン通り( -どおり、仏:rue de la Chaussée-d'Antin)はパリ9区にある通りの名、およびそこからできたパリ市の地区(カルチエ)の名称。イタリアン大通りから北西に向かって伸び、サントトリニテ教会〔教会の位置はジョルジュ・オスマンのパリ改造の際に決められたもので、延伸されたサン=ラザール通りとの交差点があり、オペラ座から見通せるようになっている。テオドール・バリュの設計で1861年から1867年にかけて建てられ、1869年3月11日にはエクトル・ベルリオーズの葬儀が執り行われた。オルガン作家アリスティド・カバイエ=コルの手になるオルガンがあり、1870年のパリ・コミューンで破損したが再建された。オリヴィエ・メシアンは1931年から亡くなる1992年までこの教会のオルガン奏者であり、このオルガンで作曲した。〕で終わる。メトロのショセ・ダンタン=ラ・ファイエット駅とギャルリ・ラファイエット百貨店の一部がある。 == 前史と成立 == この地はルイ13世の時代に造られたガイヨン門(パリの市門の一つ)の北にあたり、湿地の点在する土地だった。17世紀の頃も、ガイヨン門から寒村ポルシュロンへ向かう「ポルシュロン道」という名の田舎道で、怪しげな家が散在し、メニルモンタンという小川には欄干もない橋が架かっていた。サントトリニテ教会のあった場所には、「グランドパント(大酒屋)」という評判の悪い宿屋があった。1720年12月4日の布告によって、幅8トワーズ(約16メートル)の大通りに格上げされ、ルイ=ル=グラン通りの終わりからサン=ラザールまで延長されることになった。現在の有名な名称は、モンテスパン侯爵夫人の子で「王の建物〔フランス王室の家政機関で、王室所有の建築物を管理した。〕」長官だったアンタン公ルイ・アントワーヌ・ド・パルダイヤン・ド・ゴンドラン(1665年-1736年)の邸〔この邸は後にリシュリュー公のパリ別宅となり、リシュリュー館と呼ばれた。〕がこの新しい通りの起点に面していたことから名づけられた。1712年にはこの名がつけられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショセ=ダンタン通り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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