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ショヤコウジ兄弟の戦い(-きょうだいのたたかい)は、1515年または1519年〔『新羅之記録』(1646年成立)では永正12年(1515年)とするが、『松前家譜』(1643年)や『松前系図全』(1644年)では永正16年(1519年)5月としている。また『新羅之記録』ではショヤコウジ兄弟の騙し討ちを6月22日の出来事とする。〕に起こった首長ショヤコウジ(庶野訇峙〔ショヤコウシと読む説もある。また兄の名前をショヤ、弟の名前をコウジ(またはコウシ)とする説もある。〕)兄弟による蠣崎光広との戦い。 == ショヤコウジ兄弟の蜂起 == 渡島半島東部の首長ショヤコウジ兄弟によって、渡島半島南西部を支配する蠣崎氏に対しての攻撃が開始された。劣勢に立たされていた光広は、騙し討ちのために和睦を装って酒宴を開き本拠地である松前大館へ兄弟を招く。 そこで光広は兄弟らを酒に酔わせ、宝物を差し出すふりをして兄弟らを油断させる。木槌の音を鳴らさせて騙し討ちの準備に気付かれないようにし、隙を見て仕掛けのついた戸の裏から兄弟らを襲撃。光広によってショヤコウジ兄弟は斬殺され、他のアイヌも蠣崎氏の軍勢により皆殺しにされた。この時光広が用いた刀は、父信広が蠣崎季繁から受け取った家宝来国俊であった。 2人の首長をはじめとする殺されたアイヌは館の近くに埋められ、そこに塚が築かれて「夷塚」と呼ばれた。アイヌとの講和(商舶往還の法度)が成立する季広の代まで、アイヌに対して蠣崎氏の軍勢が出撃しようとすると塚からかすかに声が聞こえたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショヤコウジ兄弟の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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