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ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター : ミニ英和和英辞書
ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター ( リダイレクト:ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター ) : ウィキペディア日本語版
ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター[ちょうおん]

ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター: )あるいは Remington No. 1 は、世界で初めて商業的に成功を収めたタイプライターである。アメリカ発明家クリストファー・レイサム・ショールズが主に設計し、友人の印刷業者サミュエル・W・ソウル (en) と素人の機械工カルロス・グリデン (en) が製作を助けた。作業は1867年に始まったが、間もなくソウルとグリデンがこの企てから去り〔、代わりにジェームズ・デンズモア (en) が資金面で開発継続を支えた。装置を製造するいくつかの短期間の試みの後、1873年初め、がその機械の権利を買い取った。武器製造業者で事業拡大を狙っていたレミントンは、このタイプライターをさらに改良し、1874年7月1日に売り出した。
この間の開発によって、そのタイプライターは粗末な珍品から実用的な機械へと進化し、その基本形態は業界標準となった。円筒形のと4列に並んだQWERTY配列のキーボードという、その後のタイプライターの基本デザイン要素を備えている。しかし、デザイン上の欠陥はいくつか残っていた。大文字しか印字できないという問題は、後継機である Remington No. 2 で対処された。また、タイプ時に印字面がタイピストから見えないという問題も残っていた。
当初、このタイプライターは一般大衆からほとんど相手にされなかった。まだ市場が確立されておらず、値段が高く、使用するには訓練が必要だったため、なかなか売れなかった。しかも、全て大文字で印字された文面は非人間的に感じられ、受け取った相手が侮辱されていると感じることもあった〔。しかし19世紀後半の通信技術の進歩とビジネスの拡大により、読みやすい文書を容易に作成できる機械の必要性が高まっていき、ショールズ・アンド・グリデン・タイプライターを初めとするタイプライターは間もなくオフィスの必需品となった。また、タイピストとして女性が多く雇用されるようになり、女性が事務系の職場に進出するきっかけを作ったという功績もある。'')あるいは Remington No. 1 は、世界で初めて商業的に成功を収めたタイプライターである。アメリカ発明家クリストファー・レイサム・ショールズが主に設計し、友人の印刷業者サミュエル・W・ソウル (en) と素人の機械工カルロス・グリデン (en) が製作を助けた。作業は1867年に始まったが、間もなくソウルとグリデンがこの企てから去り〔、代わりにジェームズ・デンズモア (en) が資金面で開発継続を支えた。装置を製造するいくつかの短期間の試みの後、1873年初め、がその機械の権利を買い取った。武器製造業者で事業拡大を狙っていたレミントンは、このタイプライターをさらに改良し、1874年7月1日に売り出した。
この間の開発によって、そのタイプライターは粗末な珍品から実用的な機械へと進化し、その基本形態は業界標準となった。円筒形のと4列に並んだQWERTY配列のキーボードという、その後のタイプライターの基本デザイン要素を備えている。しかし、デザイン上の欠陥はいくつか残っていた。大文字しか印字できないという問題は、後継機である Remington No. 2 で対処された。また、タイプ時に印字面がタイピストから見えないという問題も残っていた。
当初、このタイプライターは一般大衆からほとんど相手にされなかった。まだ市場が確立されておらず、値段が高く、使用するには訓練が必要だったため、なかなか売れなかった。しかも、全て大文字で印字された文面は非人間的に感じられ、受け取った相手が侮辱されていると感じることもあった〔。しかし19世紀後半の通信技術の進歩とビジネスの拡大により、読みやすい文書を容易に作成できる機械の必要性が高まっていき、ショールズ・アンド・グリデン・タイプライターを初めとするタイプライターは間もなくオフィスの必需品となった。また、タイピストとして女性が多く雇用されるようになり、女性が事務系の職場に進出するきっかけを作ったという功績もある。
== 歴史 ==

=== 初期の開発 ===

このタイプライターの起源となったのは、ショールズが書籍のページ番号や切符その他のシリアル番号を印刷する機械である。ウィスコンシン州の印刷業者だったショールズは、のサミュエル・W・ソウルと共にミルウォーキー北部にあった工場を改造したチャールズ・F・クラインシュトイバーの機械店で開発を開始した。その機械店をよく訪れていた発明家のカルロス・S・グリデンがその装置に興味を持つようになり、数字だけでなくアルファベットも印字するよう改良できるのではないかと示唆した。1867年7月、グリデンはサイエンティフィック・アメリカン誌の "Pterotype" についての記事を目にした。 Pterotype は John Pratt が発明した印字機械で、''London Engineering'' 誌で取り上げられていた。グリデンはその記事をショールズに見せた。ショールズはその機械を「複雑で調子が狂いやすい」と考え、もっとよい機械を設計できると確信した。その後印字機械について数十の特許をアメリカだけでなく海外にも出願。しかし、この段階ではうまく機能する実用的な機械は全く完成していない〔。
番号印字機がうまく完成すると、ショールズはソウルとグリデンに新たな機械の開発を手伝って欲しいと依頼。ドイツ人の時計職人 Mathias Schwalbach を機械製作のために雇った。構想した機械の実現可能性を検証するため、まず電鍵をキーに流用して "W" という文字を印字する試作機を作った〔。1867年9月、全アルファベットと数字と基本的な記号が打てる試作機が完成し、発明を買ってくれるか生産のための資金を提供してくれることを期待して知人たちに出す手紙を書くのにこの機械を使った。そのような手紙を受け取った1人がジェームズ・デンズモアで、彼は直ちに600ドルで権利の25%を買い取った(この金額はそれまでの開発に要した金額に相当する)。デンズモアがその機械を実際に見たのは1868年3月のことで、あまり感銘を受けなかった。彼はそれを不器用で非実用的と考え、「基本原理が確かに動作するということを実証する以外の役には立たない」と断じた。色々問題はあったが、紙を保持するのに水平な枠を使っており、使える紙の厚さが制限され、位置あわせも難しかった。機械そのものには問題があったが、"Type-Writer" の特許が1868年6月23日に発効したので、。資金が底をつくまで15台を生産し、結局シカゴの工場をたたんでに戻ることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sholes and Glidden typewriter 」があります。




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