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シルバーブリツトは、日本のアングロアラブ競走馬。 == 来歴 == まずは荒尾競馬場(以下、荒尾)の副島義弘厩舎に所属。1986年5月17日、4歳競走でデビューし1着。そしてその後連勝街道を驀進。 荒尾で5戦全勝した後、9月22日のC1競走より、佐賀競馬場(以下、佐賀)の鮫島勉厩舎所属となり、佐賀在籍時代は一戦を除いて、鮫島勉の息子・克也が手綱を執った。そして佐賀でも連勝記録を伸ばし、1987年5月3日のアラブ王冠賞(佐賀)でアサノシンゲキに敗れるまで15連勝を果たした。その後また佐賀で3連勝し、10月7日、園田競馬場(以下、園田)の全日本アラブクイーンカップでは1番人気に支持された。この一戦は鮫島から古川哲也に鞍上が替わったが、直線で失速し6着と、初めて着順掲示板を外した。 続く11月24日の勝島賞(大井競馬場、以下 大井)より、大井の小筆昌厩舎に転厩。同レースでは高橋三郎鞍上で挑み、2着のヨシノスカレーを破って勝利した。しかし翌1988年は大井で3戦するも勝利できなかった。 そして同年4月14日のみなぎ特別(園田)より、園田の曾和直榮厩舎に転厩。その後、園田及び姫路競馬場(以下、姫路)で6戦して3勝し、再度、保利良次の鞍上で10月12日の全日本アラブクイーンカップ(園田)に挑んだ。結果はミナトクインに3馬身の差をつける快勝。『アラブ牝馬日本一』の座を手中にした。その後の11月3日のA1戦(園田)も勝利し、12月7日の園田金盃(園田)でも、オーエイホマレに2馬身半の差をつけ勝ち、4連勝を果たした。 1989年はハンデを背負う競走が続いたこともあり、同年8月9日の摂津盃(園田)直前まで、7戦2勝の戦績で重賞勝ちがなかったが、摂津盃では、当時園田の中心馬の一頭であったインターロツキーを1馬身半差下し、久々の重賞勝ちを収めた。しかし続く9月6日のオータムカップ(園田)は7着。さらに連覇がかかった10月12日の全日本アラブクイーンカップ(園田)でも、ミナトクインに前年の雪辱を許し2着に終わり、続く11月3日の白鷺賞(姫路)では4番人気の低評価に甘んじた。 しかし、ここで再びインターロツキーを破って勝利。だが、このレースが自身最後の勝利となった。その後園田で3戦した後、1990年に引退。その後繁殖牝馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シルバーブリツト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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