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シルビア・ランス・ハーパー : ミニ英和和英辞書
シルビア・ランス・ハーパー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シルビア・ランス・ハーパー : ウィキペディア日本語版
シルビア・ランス・ハーパー[ちょうおん]

シルビア・ランス・ハーパーSylvia Lance Harper, 1895年10月 - 没年月日不明)は、オーストラリアニューサウスウェールズ州カンタベリー出身の女子テニス選手。全豪選手権(現在の全豪オープン)で女子部門の黎明期に活躍し、女子シングルス1勝・女子ダブルス3勝・混合ダブルス1勝を挙げた選手である。彼女は第1回大会の1922年から出場し、1931年まで10年間の活動記録を残している。旧姓「シルビア・ランス」といい、1925年に結婚して「ハーパー」の姓を併用した。ランス・ハーパーについては、生年も「1895年10月」までしか判明しておらず、生まれた正確な日付や没年月日を確認できる資料が見つかっていない。
現在は「全豪オープン」として知られるテニス大会は、1905年に第1回大会が始まったが、最初期の全豪選手権は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみであった。女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門は、それから17年後の1922年に第1回の競技が行われた。シルビア・ランスは1922年の第1回女子競技から参加し始めた選手のひとりである。最初の大会では、女子シングルス準決勝でエスナ・ボイドに敗れた。第2回大会の1923年、ランスは女子ダブルス・混合ダブルスの2部門で優勝し、女子ダブルスはボイド、混合ダブルスはホーレス・ライスとペアを組んで初優勝を決めた。1924年の女子シングルス決勝で、ランスはボイドを 6-3, 3-6, 6-4 で破り、こうして全豪選手権の第3回女子シングルス優勝者になった。1924年と1925年は女子ダブルスでダフネ・アクハーストとペアを組み、ボイドと組んだ1923年から数えて女子ダブルス3連覇を達成した。
1925年に結婚して「シルビア・ランス・ハーパー」の名前になった後は、彼女は女子シングルス・女子ダブルスとも準優勝止まりが続いた。1927年の女子シングルス決勝では、第1回大会から5年連続準優勝の苦杯をなめていたエスナ・ボイドに敗れ、3年後の1930年にはダフネ・アクハーストに敗れている。1931年コラル・バッツワースとの女子シングルス準決勝を 0-6, 6-4 で途中棄権した試合が、ランス・ハーパーの現役最後の試合となった。その後は消息が分からなくなり、彼女の没年月日や死去した場所を確認できる資料もない。

== 全豪選手権の成績 ==

* 女子シングルス:1勝(1924年) [準優勝2度:1927年・1930年]
* 女子ダブルス:3勝(1923年-1925年) [準優勝3度:1927年・1929年・1930年]
* 混合ダブルス:1勝(1923年) [準優勝1度:1925年]

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シルビア・ランス・ハーパー」の詳細全文を読む




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