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シンコウアンクレーは日本の競走馬である。1991年の中山大障害(春)に優勝した。 初出走は1989年1月の4歳新馬芝1800m。ここを中団から差し切って勝利するが、2戦目となった水仙賞は6着に敗れ、ダービートライアルの青葉賞は先団から直線で後退して最下位に終わった。その後、休養を挟みつつ1990年11月までに6戦したが最高が5着という成績だった。 1991年1月に中山競馬場の障害未勝利で初めて障害競走に出走。手薄なメンバーであり、シンコウアンクレーは2、3番手から直線でシャコーリボンを差して初勝利を挙げた。〔出走馬12頭のうち、8頭が初障害という構成であり、結果も1着から4着を初障害馬が占めた。〕続く400万下は1番人気で逃げ切って連勝。そして中1週で障害オープンに出走、わずか5頭立てとなったが、パンフレット、メジロアニタ〔1990年京都大障害(春)の勝ち馬。父はメジロエスパーダ。〕、に先着を許して3着という結果に終わった。 中山大障害(春)は6頭立てとなり、前年のこのレースの優勝馬パンフレットが1.4倍の圧倒的1番人気、前年の京都大障害(秋)の優勝馬クリバロンが2番人気となり、シンコウアンクレーは4番人気で出走した。レースはクリバロンの大逃げから始まったが、そのクリバロンは大竹柵で転倒。最後方にいたオキノトモヅナも同じ場所で騎手が落馬したため4頭立てとなった。その後クリバロンに替わってシンコウアンクレーが逃げ、並びかけるようにシンボリクリエンスが追走した。シンコウアンクレーは大生垣でややバランスを崩したが、最後まで先頭をキープして優勝。3/4馬身差でシンボリクリエンスが2着となった。勝ちタイムは4:38.1であり、1979年(春)のバローネターフのレコードを0.4秒更新した。また、同馬を管理する二本柳俊一調教師にとっては初の重賞制覇であった。 優勝後、放牧に出されたが、途中で脚の裏筋を痛めてしまい秋の復帰はならなかった。その後いわきで温泉治療が行われたものの、結局回復せず翌1992年9月24日に登録を抹消した。 == 血統表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シンコウアンクレー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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