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シンシナティ・レッズ(、略称:''CIN'')は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ中地区所属のプロ野球チーム。本拠地はオハイオ州シンシナティにあるグレート・アメリカン・ボール・パーク。 == 概要 == 1882年創設。創設してしばらくは優勝とは縁のないシーズンが続き、1919年のワールドシリーズで後に八百長が発覚するシカゴ・ホワイトソックスを破って初の世界一に輝いた。その後長い低迷期に入るが、1940年に2度目のワールドシリーズ制覇を果たす。 チームの黄金期は1970年代。名将スパーキー・アンダーソンの下、ジョニー・ベンチ、ジョー・モーガン、ピート・ローズらが活躍、「ビッグレッドマシン(The Big Red Machine)」のニックネームで全米に旋風を巻き起こした。1970年代には1975年、1976年とワールドシリーズ2連覇、リーグ優勝4回、地区優勝6回を誇った。 1978年には日米野球で来日し、日本のファンに強烈な印象を残した。 1984年にはローズが選手兼任監督に就任するが、1989年に自身の野球賭博が発覚し、永久追放処分を受ける。その後1990年にはルー・ピネラ監督の下、ノーム・チャールトン、ロブ・ディブル、ランディ・マイヤーズら「ナスティ・ボーイズ(Nasty Boys〔いたずら小僧たちの意味。〕)」の活躍で5度目のワールドチャンピオンに輝いた。 2000年にはケン・グリフィー・ジュニアがレッズに移籍。父親であるケン・グリフィー・シニアもレッズの一員として黄金時代を支えた選手であり、若くしてスーパースターとしての地位を確立していたジュニアの来訪に地元は歓迎一色に包まれた。しかしこの頃からチームも低迷、鳴り物入りで加入したはずのジュニア自身も移籍後は故障がちになり期待通りの活躍を見せることができず、2001年から2009年まで9年連続で負け越しのシーズンが続いていた。 1999年にポスティングシステムで日本プロ野球からドミニカ共和国出身のアレファンドロ・ケサダ(当時広島東洋カープ)を獲得したことはあるが、それまで日本人選手が所属したことがなかったマイアミ・マーリンズがイチローを獲得したことにより、2015年3月現在ではレッズが日本人選手が所属したことのないMLB唯一の球団となっている〔MLB 日本人選手が所属したことがないのはレッズだけに スポーツニッポン2015年1月25日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シンシナティ・レッズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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