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行器(ほかい)(外居とも表記される)とは、中世から近世の日本において、儀礼の際に食物を運搬する目的で用いられた容器である〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。アイヌ語では「シントコ」と呼ばれる〔漆の文化史 P.192-196〕〔アイヌ文化誌ノート P.140-164〕。 ==概要== 行器は直径3,40㎝内外の円筒形で、3ないし4本の脚を持つ蓋つきの漆器である〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。 名称の「ほかい」は「ほかう」(祝う)の名詞形で、元来は神仏に食物を捧げる行為を意味し、 神饌を盛り付ける器だった〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。 時代が下るにつれて供物以外にも、野遊びなどハレの行事の折に食物を持ち運ぶ用途にも用いられ、「行楽の器」として「行器」の字が当てられた。 さらに「ほかい」の音に「外に居る際の器」の意をかけて「外居」との当て字も生まれた〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。実際に持ち運ぶ場合は、脚に絡ませた紐で蓋を固定したうえ、天秤棒に結わえる。 行器はすでに平安時代より使用の痕跡が見られ、中世の風俗が詳細に記された『春日権現験記』には、2つの行器を天秤棒の前後に固定して持ち運ぶ 人物が描かれている〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。この時代の行器は素木の曲物の基本形から大きく出ない簡素なものであった。 近世以降は民間において出産や還暦祝いに赤飯や饅頭を行器に詰めて贈る風習が定着した。 行器は家格を表すものとして、タガを嵌めて漆で蒔絵を施すなど、次第に複雑な技巧が凝らされていった〔ものと人間の文化史75 曲物 P.146-148〕。 長野県佐久地方の一部では行器(ほかい・ほけえ)という風習がある。会葬者が、行器に白米または米粉などを詰め、香典と一緒に霊前に供えることを言う。なお行器を使用せず、布袋や紙袋の中に米など入れ、供える行為も「行器」と呼ぶ〔『佐久市志民俗編上』全1706頁中754 発行者長野県佐久市 平成2年2月20日発行 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「行器」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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