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シン・リジィ (Thin Lizzy) は、アイルランド、ダブリン出身のハードロックバンドである。 しばしば「アイルランドの英雄」と形容される。アイリッシュ・ミュージックを取り入れたメロディと、ギブソン・レスポールによるツイン・リードスタイルが特徴(1974年から解散するまでの間、常にレス・ポールのツイン・リードにこだわった)。リーダーのフィル・ライノット没後30年以上が経過した現在でもなお、イギリスやアイルランドでは支持を得ている。 == ヒストリー == === 結成~デッカ・レコード時代 === 1969年、フィル・ライノット(ベース&ヴォーカル、作詞・作曲 元スキッド・ロウ)を中心に、フィルの学生時代からのバンド仲間であるドラムスのブライアン・ダウニー、元ゼムのギタリスト、エリック・ベルとともにダブリンで結成(当初キーボーディストもいたがまもなく脱退)。当初は Orphanage(孤児院)というグループ名で、パブなどで演奏を開始する。ある日、ジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズのセカンド・アルバム『ブルースブレイカーズ・ジョン・メイオール・ウィズ・エリック・クラプトン』のジャケットで、エリック・クラプトンが読んでいる雑誌 "Beano" に興味を持ち()、買って読んでみると、そこに掲載されていた漫画の中に "Tin-Lizzie" (ブリキのエリザベス)という名のロボットが登場していたのを見つけ、ライノットたちはその名を拝借し、アイルランド人が発音しやすいように綴りを変え、バンド名をシン・リジィ (Thin Lizzy) とした。 1970年7月31日、アイルランド・パーロフォン・レーベルからシングル「ザ・ファーマー」(''The Farmer'') でデビュー。たまたまあるアイルランド人シンガーのレコーディング・セッションに呼ばれ、そこでの演奏を気に入られたことからUKデッカ・レコードとのレコーディング契約を獲得する。 1971年4月、ファースト・アルバム『シン・リジィ』(''Thin Lizzy'') をリリースする。初期はアイリッシュ・フォークとロックの融合を軸にしたサイケデリック・サウンドを展開、同年ロンドンでの初ライブを行う。8月、印象的な詞の作品「ダブリン」(''Dublin'') を収録した4曲入りEP『ニュー・ディ』(''New Day'') を発表。 1972年3月、『ブルー・オーファン』(''SHADES OF A BLUE ORPHANAGE'') 発表。フィル・ライノットの書く美しい詞が充実した佳作だが、セールスにはつながらなかった。バンドは次第にステージ・パフォーマンスを含め、ロック・バンドへと様変わりし、ライノットの詞もダンディズムを押し出したものへと変貌していく。同年トラディショナルなアイリッシュ・フォーク・ミュージックをロック風にアレンジした『ウィスキー・イン・ザ・ジャー』(''Whiskey In The Jar'') がシングル・カットされ、アイルランドで1位を獲得、英国国内でもスマッシュヒットとなる。善くも悪くもこのヒットによりショウ・ビジネスの中で生き残ることを選択させられる。BBCテレビの長寿音楽番組Top Of The Popsにも初登場。 1973年9月、エリック・ベルの印象的なストラトキャスターのカッティングで始まる「ザ・ロッカー」(''The Rocker'') を収録した『西洋無頼(ごろつき)』(''Vagabonds of the Western World'') をリリース。しかし、精神的・身体的な理由からベルがこの年いっぱいでバンドを離れる。後にベルはジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンスのノエル・レディングのグループ The Noel Redding Band に参加する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シン・リジィ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thin Lizzy 」があります。 スポンサード リンク
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