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シーキングザダイヤは、アメリカ合衆国で生まれ、日本で調教された競走馬である。2008年春より種牡馬として供用されている。 == 戦績 == 2003年12月6日、阪神競馬第6競走の新馬戦を1番人気でデビューしたが、結果は5着。しかし次の未勝利戦で勝利すると、年明け初戦である東京競馬のクロッカスステークス、初の重賞であるアーリントンカップ、続くニュージーランドトロフィーと4連勝を達成した。デビュー戦以来すべてのレースで鞍上を務めた武豊とともに、母シーキングザパールも優勝したGI、NHKマイルカップに出走するも、結果はキングカメハメハの7着と惨敗、母子2代制覇を成し遂げることはできなかった。その後は海外遠征を行い、ジュライカップやモーリス・ド・ゲスト賞に出走するがどちらも惨敗。帰国後はとちぎマロニエカップに出走、1番人気に推されたが結果はノボトゥルーの3着であった。しかし、続く兵庫ゴールドトロフィーでは1番人気に応え勝利する。 2005年初戦は川崎記念。このレースから、鞍上がデビュー以来すべてのレースで手綱を取ってきた武豊から横山典弘やオリビエ・ペリエに乗り替わる。そしてフェブラリーステークス、マイルチャンピオンシップ南部杯、JBCクラシック、ジャパンカップダート、東京大賞典とGIに幾度も挑戦するも、結果はJBCクラシック6着以外はすべて2着であった。また、3度目の海外遠征となったシンガポールG1のシンガポール航空インターナショナルカップでは7着であった。 2006年、フェブラリーステークスに再挑戦するも、武豊騎乗のカネヒキリに3馬身差で敗れ、またも2着となった。7か月の休養をはさみ、ふたたび武豊が手綱を取った日本テレビ盃では単勝オッズ1.4倍の圧倒的な1番人気に応え2年ぶりの勝利を飾った。しかし続いてのマイルチャンピオンシップ南部杯でも圧倒的な1番人気になり、初のGI制覇が期待されたものの、4着に敗れた。さらに続いてのJBCクラシックでも圧倒的な1番人気になったが、タイムパラドックスを交わせず、1馬身半及ばず2着に惜敗した。ジャパンカップダートも1番人気となったが、最後の直線で追い上げるも前を行くアロンダイトをかわせず、GI9回目の2着となった。その後、武豊が騎乗停止のため東京大賞典に横山典弘騎乗で挑戦。先行し、直線で先頭に立つも最後は3着に敗れた。 2007年もフェブラリーステークスから始動。しかし、伸びきれず9着と大敗した。続く帝王賞でも5着、第7回JBCクラシックでは横山典弘騎乗で6着に敗れ、GIおよびJpnIを勝つことだけでなく、2着にもなれないでいた。その後、第8回ジャパンカップダートに出走登録を行いながらも回避し、浦和記念に出走。ここでひさびさの勝利を挙げ、11月29日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、108ポンドの評価を得た。現役最後のレースとなった第53回東京大賞典は6番人気で6着だった。 2008年1月16日付けでJRA競走馬登録を抹消された。なお競走馬登録は抹消されたが1月22日に締め切られたアジアマイルチャレンジのシリーズ登録を行っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーキングザダイヤ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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