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千草 宗一郎(ちぐさ そういちろう、1944年2月3日 - )は、関西テレビ放送顧問。メディアプルポ代表取締役会長。 == 来歴・人物 == 兵庫県出身。甲陽学院高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学野球部出身。愛称は「シーチャカ」。1969年入社。同期には桑原征平(現在・フリーアナウンサー)、杉山一雄(現在・フリーアナウンサー)、上沼真平(元・制作局長で上沼恵美子の夫)。報道局、スポーツ局などを経て、制作部。1986年に深夜の人気番組『エンドレスナイト』(以下「エンドレス」「E・N」)のプロデューサーとなる。番組では、シーチャカのあだ名で人気者となり、番組にも度々出演し「エンドレスにシーチャカあり」と言われる程になった〔本人は石原裕次郎の大ファンであり「タフガイ千草」とも呼ばれていたが、彼の独特な風貌から「シーチャカ」という渾名がつき、「エンドレス」の番組内で定着した(→エンドレスナイトの項も参照)。〕。 桑原征平が若手時代に定時ニュースを担当した際、突発的なニュースが入り現場は混乱状態で、桑原も数回目の担当でまだ慣れていないうえ、報道記者から渡される原稿も書き殴りで読めない状態だった時に、当時報道記者だった千草は書き殴りの字を判別をし、口伝えでなんとかニュースを乗り切り、桑原を手助けした逸話がある。 1988年『エンドレス』の担当から外れ、数々のテレビ番組のプロデューサーを務めた後、スポーツ局に異動。『大阪国際女子マラソン』では陣頭指揮を取り、スポーツ関連イベントを数多く手掛けた。 2000年事業局長、2001年営業局長、2003年専務取締役を経て、2005年7月より代表取締役社長に就任。関西テレビの歴代社長はこれまで大株主の阪急電鉄、産経新聞社、フジテレビ出身者が務めることが多いが、関西テレビから生え抜きの社長が誕生したのは二人目である。 2005年7月23・24の両日に放送された、FNS25時間テレビ内コーナー「FNSあっついテレビ局決定戦」では、同局社長室からダーク色のファッションにサングラスという、系列他局の社長とは一線を画したファッションで登場し、東京のスタジオに居た島田紳助や笑福亭鶴瓶といった、往時関西テレビの番組で関わりのあったタレントには、社長に就任したことを大変驚かれた。その時、紳助は「千草さんが社長?!」とビックリして叫んだ。また、局を代表して出演していた岡安譲アナウンサーに「優勝出来んかったらわかってんやろうなお前さん。負けたら秋からの新番組、クビやでー!」とプレッシャーを掛けていた。その甲斐があってか、この年・関西テレビは準決勝まで行っている。紳助らからは「この時のためだけに社長に就任した」とからかわれていた。 2005年8月13日放送の『たかじん胸いっぱい』ではやしきたかじんが、ゲストのガダルカナル・タカとともに新社長就任祝いとして社長室を訪問。たかじんは『新社長が 「発掘!あるある大事典II」の捏造事件によって、代表取締役社長を2007年4月3日をもって引責辞任し、代表権を持たない取締役に降格。同年6月に取締役を退任し、相談役に就任。この件については後述する。 2008年6月23日に相談役を退任し、顧問に就任した。また関連会社であるメディアプルポ代表取締役会長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千草宗一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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