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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
シーチャリオットは日本の競走馬。チャリオットは戦車の意。 == 戦績 == 2004年9月24日の新馬戦でデビューし勝利。続く平和賞(南関東G3)も勝利するが、全日本2歳優駿でプライドキムに敗れ初めて土がつく。年明け後、準重賞の雲取賞、続く京浜盃に勝利し、勢いに乗って南関東G1の羽田盃、東京ダービーを連覇し、二冠を達成し、その圧倒的なパフォーマンスからJDD参戦予定だった中央所属・カネヒキリとの一騎打ちを期待されていた。しかし東京ダービー後骨折を発症し、ジャパンダートダービーへの出走を断念、三冠の夢は絶たれた。 復帰後初戦は京成盃グランドマイラーズ。しかし結果は4着。次走は東京大賞典であったが、主戦の内田博幸がアジュディミツオーに騎乗するため、デビュー以来初めて鞍上が佐藤隆に乗り替わる。レースは道中は中団を追走し、第4コーナー付近で一度は3番手まで上がるも、このレースで連覇を果たしたアジュディミツオーに歯が立たず、シーキングザダイヤ、タイムパラドックス、ベラージオらJRA所属の競走馬にも太刀打ちできず8着と大敗した。NARグランプリ2005サラブレッド3歳最優秀馬受賞。 その後再び故障で長期休養に入る。復帰戦は1年後の総の国オープンとなったが5着に敗れた。その後鞍上が戸崎圭太に変わって暮の大一番、東京大賞典に挑むが9着に敗れた。 2007年は報知グランプリカップから始動。しかし同厩のプライドキムに敗れ2着となった。その後JRAのマーチステークスに出走。しかし14着と大敗した。その後、大井記念では11着に敗れるものの、担当厩務員の変更、馬体の作り直しが功を奏し、帝王賞で6着に入線。復活の気配を見せた。 9月24日の日本テレビ盃4着の後、9月26日に栗東トレーニングセンター・中竹和也厩舎に転厩することが発表され、9月28日に地方競馬登録を抹消し、9月30日栗東に入厩した。転厩後は(有)ダーレー・ジャパン・ファームの所有馬となった。しかし、ダーレー・ジャパン・ファームは中央競馬の馬主登録を抹消したため、中央未出走のまま11月29日付で中央競馬の競走馬登録を抹消した。 2008年1月に古巣の船橋・川島正行厩舎に戻り、4月9日の大井・マイルグランプリに出走したが7着だった。 その後、1年2ヶ月休養し、2009年6月10日の房の国オープンで復帰したが、7着に終わった。続くゴールドカップとサンタアニタトロフィーでは共に7着に敗れた。8月26日のアフター5スター賞の11着を最後に現役を引退した。 引退後に去勢され、2013年現在、東京都八王子市の八王子乗馬倶楽部で乗馬として繋養されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーチャリオット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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