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シーラ・シャーウッド(Sheila Sherwood、1945年10月22日- )は、イギリスの女子上競技選手。走幅跳の選手として活躍。オリンピックには1964年東京オリンピックから3大会連続出場し、1968年メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得。イングランド中北部サウス・ヨークシャー、シェフィールド出身。 == 経歴 == パーキン(旧姓)は16歳だった1962年のときに、走幅跳で英国の学生記録を樹立した。この活躍により同年のポーランドとの対抗戦の英国代表として選出された。同大会では、前世界記録保持者で、メルボルンオリンピック金メダル、ローマでも銀メダルを獲得していたエルジュビェタ・クシェシンスカに2cmまで迫る記録で2位となり一気に世間の注目を浴びるようになった。同年にはヨーロッパ選手権とコモンウェルスゲームズにも出場しているが、ヨーロッパ選手権では12位、コモンウェルスゲームズでは5位に終わっている。 しかしその後のパーキンはさほど記録の向上が見られなかった。また同じ英国にいたマリー・ランドという大選手の陰に隠れがちであった、パーキンは、初めてのオリンピックとなった東京大会で13位という結果に終わった。(ランドは金メダル)しかし、パーキンは東京で同じ英国代表のハードラーのジョン・シャーウッドと出会う。2人は3年後に結婚するが、2人が出会って以降、シャーウッドの記録はどんどん向上していく。1966年のコモンウェルスゲームズではランドに次いで銀メダル。そして、1968年のメキシコオリンピックでは、自己ベストの6m68でルーマニアのビオリカ・ビスコポレアヌに次いで銀メダルを獲得した。 1970年のコモンウェルスゲームズでは6m73と自己ベストを更新しついに優勝を果たす。しかし、シャーウッドはその後、背中を痛め競技力は下降線をたどっていく。1972年ミュンヘンオリンピックに3大会連続の代表として出場したものの9位と惨敗。1974年のコモンウェルスゲームズで7位に終わり現役を引退した。 シャーウッドはその後、故郷のシェフィールドの中学高校で体育教師となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーラ・シャーウッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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