|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ジャンカルロ・クルーズ=マイケル・スタントン(Giancarlo Cruz-Michael Stanton, 1989年11月8日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス市パノラマシティ地区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在はMLB・マイアミ・マーリンズに所属している。 若手ながら、2014年には本塁打王、シルバースラッガー賞、ハンク・アーロン賞を獲得、シーズンMVPの次点となるなど高く評価された。その若さと実力から伸び代を期待される選手であり、同年11月にMLB史上最高の長期契約を結んだ。オールスター選出2回。2013WBCアメリカ合衆国代表。 メジャー初出場のから2年間は、登録名をマイク・スタントン(Mike Stanton)としていた〔Joe Frisaro / MLB.com, "Marlins slugger is Giancarlo, not Mike, Stanton ," ''marlins.com'', February 29, 2012. 2012年3月1日閲覧。〕。ジアンカルロ・スタントンと表記されることもある。 == 経歴 == === アマチュア、マイナー時代 === 父はアイルランド系アメリカ人、母はアフリカ系アメリカ人とプエルトリコ人の混血。にもかかわらずジャンカルロというイタリア系の名前をつけられたのは、単に両親がその名前を気に入っていたというだけで、特に深い意味はないという〔Dave Hyde, Sports Columnist, "Stanton is the Marlins' Next Great One ," ''Sun Sentinel'', May 12, 2010. 2010年12月19日閲覧。〕。以前の登録名マイク(Mike)はミドルネーム・マイケル(Michael)の短縮形である。父と親類はマイク(またはマイキー)、母はもうひとつのミドルネーム(Cruz)で彼を呼ぶが、本人はジャンカルロが気に入っているという。子供のころの好きな野球選手はロサンゼルス・ドジャースのラウル・モンデシー。彼を観にスタントンは親子でドジャー・スタジアムを度々訪れており、4月23日にフェルナンド・タティースが朴賛浩から史上初の1イニング2満塁本塁打を放った試合も球場で生観戦していた〔Joe Capozzi, "Marlins rookie Mike Stanton returns to L.A. roots ," ''The Palm Beach Post'', July 5, 2010. 2010年12月19日閲覧。〕。 地元カリフォルニア州サンフェルナンド・バレーのバードゥゴヒルズ高校で2年間を過ごしたのち、近くのノートルダム高校へ転校。そこでスタントンは野球とアメリカンフットボール、バスケットボールの3競技それぞれで優れた才能を発揮する。最上級生となったからにかけて、秋にはフットボールでディフェンシブバック兼レシーバーとしてチームを11勝1敗の好成績に導き、冬にはバスケットボールで1試合平均19.7得点・13.2リバウンドを記録、春には野球で打率.386・8本塁打という数字を残した〔Eric Sondheimer, "With Stanton, Notre Dame is an all-season contender ," ''Los Angeles Times'', April 24, 2007. 2010年12月19日閲覧。〕。 卒業を控えた頃には、スタントンの進路選択に注目が集まる。南カリフォルニア大学は野球とフットボールの奨学生としてオファー。特に全米屈指の強豪として知られるフットボールでは、ヘッドコーチのピート・キャロルがスタントンと直接面会してタイトエンドとして勧誘した〔Ben Volin, "Mike Stanton could be a future star for the Florida Marlins ," ''The Palm Beach Post'', July 10, 2009. 2010年12月19日閲覧。〕。一方、6月上旬に行われたMLBのドラフトでは、2巡目(全体76位)でフロリダ・マーリンズがスタントンを指名。迷った末、8月上旬にスタントンはマーリンズと契約を結び、プロの野球選手になることを選んだ。 契約後、スタントンはマイナーリーグでプロデビュー。最下層のルーキー級ガルフ・コーストリーグで8試合、SS-A級ジェームズタウン・ジャマーズで9試合の計17試合に出場して2007年を終える。シーズン終了後には『ベースボール・アメリカ』の若手有望株ランキングで、マーリンズ傘下では最高のパワーヒッターという評価を受けた〔Mike Berardino, "Organization Top 10 Prospects: Florida Marlins ," ''BaseballAmerica.com'', November 14, 2007. 2010年12月19日閲覧。〕。 は、A級グリーンズボロ・グラスホッパーズで125試合に出場し、打率.293・39本塁打・97打点・OPS.993を記録。ただ「この成績は球場の狭さに助けられてのもの、翌年以降は続かない」という声があり、それがスタントンの耳にも入っていた〔Joe Frisaro / MLB.com, "Stanton's pop doesn't stop in big leagues / Marlins rookie continues homer barrage after tearing up Minors ," ''marlins.com'', September 16, 2010. 2011年10月10日閲覧。〕。その一方でシーズン途中には、7月終了時点で58勝51敗のナ・リーグ東地区3位につけていたマーリンズが、ポストシーズン進出のためにボストン・レッドソックスからトレードでマニー・ラミレスを獲得しようとしたが、交換要員にスタントンを要求され拒否、結局トレードが実現しなかったということも起こっている〔Jon Heyman, SI.com, "Red Sox send Ramirez to Dodgers, acquire Bay in three-team trade ," ''SI.com'', July 31, 2008. 2010年12月19日閲覧。〕。 はAdv-A級ジュピター・ハンマーヘッズでシーズン開幕を迎え、50試合で打率.294・12本塁打・39打点・OPS.968という成績を残して、6月上旬にはAA級ジャクソンビルへ昇格。7月にはマイナーリーグのオールスター "フューチャーズゲーム" に選出され、試合では5回表の守備からジェイソン・ヘイワードに代わって途中出場している〔"World Futures vs. U.S. Futures - July 12, 2009 ," ''MLB.com''. 2010年12月19日閲覧。〕。AA級昇格後は79試合で打率.231・16本塁打・53打点・OPS.766と成績を落としたが、 翌には同級にも適応。開幕から53試合で打率.313・21本塁打・52打点・OPS 1.171という数字を挙げる。5月6日の試合では推定飛距離500-550フィート(約152.4-167.6メートル)の大本塁打を放ち、それを見ていたダン・メイヤーがジョシュ・ジョンソンに「あんなに飛んだ打球は今まで見たことがないよ」と電話するほど〔Joe Frisaro / MLB.com, "Loria backs Gonzalez, denies speculation / Owner wants Marlins to get back on track to reach goals ," ''marlins.com'', May 7, 2010. 2010年12月19日閲覧。〕、スタントンの持つパワーは20歳にして既にAA級でも抜きんでたものとなっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンカルロ・スタントン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Giancarlo Stanton 」があります。 スポンサード リンク
|