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ジウジアーロ : ミニ英和和英辞書
ジウジアーロ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジウジアーロ ( リダイレクト:ジョルジェット・ジウジアーロ ) : ウィキペディア日本語版
ジョルジェット・ジウジアーロ[ちょうおん]









ジョルジェット・ジウジアーロ( , 1938年8月7日 - )は、イタリア工業デザイナーで、イタルデザインの創設者である。
俗に「折り紙細工」と言われる直線とエッジの利いたデザインで特に1970年代に一世を風靡した。1999年にはカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー賞を受賞し、2002年にはアメリカ・ミシガン州ディアボーンの自動車殿堂 ()に列せされた。
日本では『ジウジアーロ』の表記が最も一般的だが、『ジュジャーロ』が最も原音(イタリア語)に近いとされる。
== 略歴 ==
イタリア・ピエモンテ州クーネオ生まれ。画家を志して美術高校に在学していたが、たまたま描いたフィアット・500のイラストがその設計者ダンテ・ジアコーサに高く評価され、高校を中退して1955年・17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社した。1959年、イタリアのカロッツェリアベルトーネの総帥ヌッチオ・ベルトーネにスカウトされ、ベルトーネのチーフスタイリストに転進した。当時のベルトーネは先代のチーフ、フランコ・スカリオーネが去った直後で、後継者を緊急に必要としていた。
彼のデザインした最初の生産車は英国のGTカー・ゴードンGTで、1960年のジュネーヴ・モーターショーでデビュー、好評で迎えられた(生産開始は1963年)。その後も数々の優れたデザインの市販車、プロトタイプを次々に発表し、ベルトーネに黄金時代をもたらした。
1965年にはベルトーネを辞し(後任はマルチェロ・ガンディーニ)、カロッツェリア・ギアのチーフ・デザイナーとなった。同社在籍中にいすゞ・117クーペのデザインを手がけた。1968年、30歳の時に日本人企業家宮川秀之、名人級の板金技術者アルド・マントヴァーニと共同で自らの会社、イタルデザインを設立した。
1981年には自動車分野以外の製品をデザインするジウジアーロ・デザインを設立、日本光学工業(現ニコン)製一眼レフカメラのデザイン(近年ではコンセプトデザインが主)を、1980年発売のニコンF3から手がけている他、岡村製作所のデスクチェア『コンテッサ』・『バロン』、更に変わったところでは、パスタやキーボード、日本酒猪口徳利のデザインをしたこともある。また、ダイワ精工(現グローブライド)のスキーブーツ(名称不明)や釣り用リール、太陽誘電コンパクトカセット『That's』、フジテレビの番組「FNN NEWSCOM」の番組セットなどもデザインしていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョルジェット・ジウジアーロ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Giorgetto Giugiaro 」があります。




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