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ジェイソン・アルファロ : ウィキペディア日本語版
ジェイソン・アルファロ

ジェイソン・アルファロ (''Jason Alfaro'' 、1977年11月29日 - ) は、アメリカ合衆国テキサス州出身で、MLBヒューストン・アストロズに所属していたプロ野球選手 (遊撃手) である。
== 経歴・人物 ==
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: 6月3日にアストロズからドラフト22巡目で指名を受け、6月30日に契約を結んだ〔Jason Alfaro Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月12日閲覧。〕。この年は、マイナーリーグ・ルーキー級のガルフ・コースト・リーグ (GCL) のGCL・アストロズに配属され、ショートセカンドを中心に34試合に出場した〔Jason Alfaro Minor League Statistics & History - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月12日閲覧。〕。打撃成績は、打率.265・2本塁打・13打点・6盗塁というものだった。また、投手としても4試合でマウンドに登り、防御率1.50・1勝 (無敗) を挙げた〔。
; 〔
: 引き続き、GCLのアストロズでプレイした。同年は47試合に出場したが、打率.242・1本塁打・18打点という成績に終わり、前年よりも低調だった。盗塁も、前年は無失敗だったにもかかわらず、同年は5盗塁・5盗塁死に終わった。攻・走と同様に守備も低調で、遊撃守備に46試合で就いたが、15失策を犯し、守備率は.921という低率だった。
; 〔
: この年はランクを1つ上げ、A級のミッドウェスト・リーグミシガン・バトルキャッツに在籍。ショートのレギュラーとして118試合に出場し、打率.271・5本塁打・50打点・5盗塁という成績を残した。打率はプロ入り以来、最高の数値だった。守備面では、ショートで守備率.954 (21失策) という成績を記録したほか、サードの守りに就く機会もあった。
; 〔
: 前年から更にランクを上げ、A+級のフロリダ・ステート・リーグキシミー・コブラスに所属した。2年連続100試合超えとなる117試合に出場し、プロ自己最多となる7本塁打を放った。一方で走塁面では、盗塁の成功 (2盗塁) 及び失敗 (6盗塁死) がいずれも自己ワーストの数値だった。守備成績も芳しくなく、自己最多の28失策を犯してしまった。
; 〔
: 2000年の成績は優れなかったが、この年もランクを上げた。AA級のテキサス・リーグに昇格し、ラウンドロック・エクスプレスに所属した。同年はポジションが頻繁に変わり、過去に守った経験がある内野の3ポジション (セカンド・ショート・サード) 以外にレフト及びライトの守備にも就いた。また、プロ1年目 (1997年) 以来となる投手も経験した (1試合で防御率36.00) 。最終的には87試合の出場で、打率.243・2本塁打・29打点・2盗塁という成績だった。
; 〔
: 前年に引き続き、エクスプレスでプレイした。この年も様々なポジションを経験したが、サードを守る機会 (113試合) が一番多かった。シーズン全体では124試合に出場し、打率.314・16本塁打・74打点・11盗塁・OPS.901という好成績をマーク。打撃面で開眼し、特に本塁打はヘンリー・スタンリーと並び、チーム最多だった〔2002 Round Rock Express Statistics -- Minor Leagues - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月12日閲覧。〕。
; 〔
: 3年連続で、エクスプレスで開幕を迎えたが、22試合で打率.148・9打点と不振に苦しんだ。しかし、途中でAAA級のパシフィック・コースト・リーグに所属するチーム・ニューオーリンズ・ゼファーズに昇格した。ゼファーズ昇格後は、前年ほどの打棒ではなかったものの、105試合の出場で打率.296・9本塁打・49打点という打撃成績を記録し、打率.300近い数値をキープした。エクスプレスとゼファーズの2チーム通算成績は、打率.269・9本塁打・58打点だった。守備面では、エクスプレスではサードが殆どだったが、ゼファーズではショートで44試合、サードで47試合の守備に就いた。守備率は、ショートの方が高かった (ショート:.961、サード:.947) 。同年10月15日FAとなるが、11月10日にアストロズと再契約を結んだ〔。
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: 2004年9月9日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦で、長い下積み生活を経て遂にメジャーデビューを果たした。この試合では途中から9番に入り、待望のメジャー初ヒットを放った〔September 9, 2004 HOU vs PIT - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月12日閲覧。〕。最終的にはアストロズで7試合に出場したが、後にも先にも2004年が唯一のメジャーイヤーであった。
: マイナーリーグ (ゼファーズ) では126試合に出場しており、打率.325・13本塁打・67打点と、2002年の打撃が蘇っていた。だが、守備位置は相変わらず固定されないままで、内外野の多くのポジションを守った。同年オフの10月15日、再びFAとなったが、約1ヵ月後の11月17日トロント・ブルージェイズと契約を結んだ〔。
; 〔
: ブルージェイズ加入初年となる2005年は、AAA級インターナショナル・リーグシラキュース・スカイチーフスで通年を過ごした。打撃面では、マイナーで2年連続2ケタ本塁打となる10本塁打を放ったが、打率は.245と著しく低下してしまった。この年、自身3度目となるピッチャーマウンドを経験した。同年オフ、3年連続で10月15日にFAとなり、11月9日にメジャーデビュー戦の対戦相手だったパイレーツと契約した〔。
; 〔
: この年、パイレーツ傘下のインディアナポリス・インディアンズ (インターナショナル・リーグのAAA級) でプレイしていたが、6月6日に解雇された〔。解雇されるまでの成績は、27試合の出場で打率.198・3本塁打・8打点だった。
: 解雇翌日の6月7日に、すぐさまクリーブランド・インディアンズと契約を結んだ〔。インディアンズ傘下ではバッファロー・バイソンズ (AAA級) に所属し、74試合で8本塁打を放った。2チーム通算では11本塁打を放ち、マイナーで3年連続2ケタ本塁打をマークした。同年10月15日、FAに〔。
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: この年、初めて所属球団が決まらないまま越年したが、2007年2月22日ニューヨーク・メッツと契約を結んだ〔。メッツ傘下では、パシフィック・コースト・リーグのゼファーズ (当時、アストロズからメッツに移っていた) に3年ぶりに復帰。99試合の出場ながら打率.283・13本塁打・51打点を記録したが、10月19日にFAとなると〔以後、契約してくれる球団は現れず、メジャーリーグ選手としてのキャリアを終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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