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ジェイソン・ドノヴァン(Jason Sean Donovan, 1968年7月1日 -)はオーストラリア・メルボルン出身の歌手及び俳優である。 == 略歴 == ジェイソン・ドノヴァンは、メルボルンの都心から南東へ8km離れたマルバーン地区の出身。「ショーン」というミドルネームのとおりアイルランド系で、父親は俳優でイングランド生まれのテレンス・ドノヴァン。母親はイギリスやオーストラリアで女優として活躍したスー・マッキントッシュである。彼の両親は1973年に離婚したが、母親は後に別の男性と再婚し、父親違いの妹であるステファニー・マッキントッシュも女優という芸能一家の出である。 11歳となった1979年、オーストラリアのテレビシリーズ“Skyways”で子役としてデビュー。番組中では同じく子役出身であるカイリー・ミノーグと共演することもあった。その後も順調に活動し、1987年には同国の芸能雑誌“TV Week”による「ロギー賞(将来有望な芸能人に対する部門)」に輝く。1988年にストック・エイトキン・ウォーターマンによるプロデュースで歌手デビューしたが、デビュー曲の"Nothing Can Divide Us"がいきなり全英5位、日本の洋楽チャートでは1位に輝くなど、華々しいスタートを切る。さらに2枚目のシングルである"Too Many Broken Hearts"が全英1位となり、1989年にはデビューアルバムである"Ten Good Reasons"が3週連続で全英1位の売り上げとなった。ほぼ同時期にカイリー・ミノーグもイギリスに拠点を移して、日本でも知られるヒット曲を連発するなど活躍していたが、 "Especially for You"で幼馴染でもあるミノーグとのデュエットを実現させ、これが1989年の全英年間売上第4位となる。1990年代前半までヒット曲が続き、80年代後半から90年代前半を代表するアーティストのひとりとなった。 歌手としての華々しい活動の傍ら、母国オーストラリアでは俳優業にも精を出し、1990年には2度目のロギー賞(短編部門)を受賞。同年、太平洋戦争を扱った“Blood Oath”で映画初出演を果たす。 しかし順風満帆だった芸能活動も、1992年にイギリスの月刊誌"The Face"に「同性愛者」であると報じられたことから裁判沙汰となり、勝訴したものの、その過程で「同性愛者を差別している」と報じられたことなどから人気は下り坂となり、さらに薬物にも手を染め、すっかり暗転してしまう。 その後、薬物依存を克服し家庭を持ち、現在では歌手やミュージカル俳優などとして、母国やイギリスで芸能活動を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェイソン・ドノヴァン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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