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ジェイミー・マレー : ミニ英和和英辞書
ジェイミー・マレー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェイミー・マレー ( リダイレクト:ジェイミー・マリー ) : ウィキペディア日本語版
ジェイミー・マリー[ちょうおん]

ジェームズ・ロバート・マリーJames Robert Murray /ˈdʒeɪmi ˈmʌri/, 1986年2月13日 - )は、スコットランド・ダンブレーン出身の男子プロテニス選手。アンディ・マリーの1歳年上の兄で、ダブルスのスペシャリストとして活動している。左利き。シングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。これまでにATPツアーでダブルス15勝を挙げている。彼は様々なダブルス・パートナーと組んで好成績を出しており、弟のアンディと兄弟ペアを組む時もある。趣味のゴルフではハンデキャップ3の力量を持っている。
シングルス・ダブルス通してイギリス人初の世界ランキング1位。〔http://news.tennis365.net/news/today/201604/109082.html〕イギリス人20年ぶりのウィンブルドン優勝者。グランドスラム優勝2回。イギリス人男子43年ぶりの全米ダブルス決勝進出。また2015年デビスカップではイギリスの79年ぶりの優勝に貢献。
== 来歴 ==
マリー家の兄弟2人は、スコットランドのナショナル・コーチを務めていた母親の手ほどきでテニスを始めた。一緒にラケットを握った時、兄ジェイミーは4歳、弟アンディは3歳だった。ジェイミーの公式サイトによれば、少年時代に家族でウィンブルドン選手権を観戦した頃「自分はできる限り多くの試合を見ようとしたが、アンディはできる限り(選手たちの)サインをねだることに夢中だった」という。ジュニア選手のトーナメントでは、2004年全米オープンの男子ジュニアダブルス部門でアンディと組んだベスト4がある。同年に18歳でプロ入り。最初期は男子ツアー最下層の大会群(フューチャーズ)でシングルス戦もこなしたが、2006年4月以後はダブルスのみに専念するようになった。
2007年、ジェイミー・マリーはエリック・ブトラックアメリカ)と組んで男子ツアー大会のダブルスに3勝を挙げ、2007年ウィンブルドン選手権混合ダブルスエレナ・ヤンコビッチとコンビを組んで優勝した。J・マレーとヤンコビッチは、決勝でヨナス・ビョルクマンスウェーデン)&アリシア・モリクオーストラリア)組を 6-4, 3-6, 6-1 で破って栄冠を獲得した。イギリス人選手がウィンブルドンを制覇したのは、1987年の混合ダブルスを制したジェレミー・ベイツ&ジョー・デュリー組(この組は2人ともイギリスペア)以来20年ぶりの快挙であった。
2008年は、2月のアメリカフロリダ州デルレイビーチ大会でマックス・ミルヌイベラルーシ)と組んだ優勝がある。8月の北京五輪には、イギリス代表選手としてジェイミーとアンディの兄弟ペアが男子ダブルスに出場し、2人は2回戦でフランス代表のアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 1-6, 3-6 で敗れた。オリンピック終了後、ジェイミーは全米オープン混合ダブルスでリーゼル・フーバーと組み、自身2度目の4大大会混合ダブルス決勝に進出した。ここではリーンダー・パエスインド)&カーラ・ブラックジンバブエ)組に 6-7, 4-6 で敗れ、混合ダブルス2冠のチャンスを逃している。
2010年11月のバレンシア大会でジェイミーは、弟のアンディと組んだダブルスの決勝でマヘシュ・ブパシ&マックス・ミルヌイ組を 7–6(8), 5–7, で破った。2011年の楽天ジャパンオープンでもアンディと組み優勝し、ダブルスツアー7勝目を挙げた。
2015年は躍進の年となった。ジョン・ピアーズと組み、ウィンブルドン選手権で決勝に進出。決勝ではジャン=ジュリアン・ロジェ&ホリア・テカウ組に6–7(5–7), 4–6, 4–6で敗れた。全米オープンでも再び決勝に進出。決勝ではピエール=ユーグ・エルベール&ニコラ・マユ組に4-6, 4-6で敗れた。
デビスカップ2015でもダブルスで活躍。1回戦のアメリカ戦ではドミニク・イングロットと組み、ブライアン兄弟に敗れたが、準々決勝以降は弟のアンディ・マリーと組み、フランス戦ではジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ニコラ・マユ組に、オーストラリア戦ではサム・グロス&レイトン・ヒューイット組に、決勝ベルギー戦ではスティーブ・ダルシス&ダビド・ゴファン組に勝利し、イギリスの優勝に貢献した。
2016年はブルーノ・ソアレスと組み、年初のシドニー国際で優勝すると、全豪オープンで2015年のウィンブルドンから3大会連続決勝進出を果たすと、決勝でダニエル・ネスター&ラデク・ステパネク組に2–6, 6–4, 7–5で勝利し、男子ダブルスでのグランドスラム初タイトルを手に入れた。
4月4日付の世界ランキングで世界ランク1位になることが確定した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェイミー・マリー」の詳細全文を読む




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