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ジェイムズ・アイボリー : ミニ英和和英辞書
ジェイムズ・アイボリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アイボリー : [あいぼりー]
 ivory
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェイムズ・アイボリー ( リダイレクト:ジェームズ・アイヴォリー ) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・アイヴォリー[ちょうおん]

ジェームズ・アイヴォリー(James Ivory, 1928年6月7日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身の映画監督脚本家である。
== 略歴 ==
父はアイルランド系、母はフランス系アメリカ人。オレゴン大学で建築とファインアートを学んだ後、南カリフォルニア大学のフィルム・スクールで映画製作を学ぶ。学生時代にインドの細密画についての短篇を制作したが、同じインド人俳優のナレーターを起用していた短篇映画の製作者イスマイル・マーチャントとニューヨークで知り合う。1961年にマーチャント・アイヴォリー・プロダクションを設立。以後、2人は公私に渡り40年以上パートナーとなる。その後、インドで映画を作ることとなり、ドイツ出身でインド人と結婚した作家ルース・プラワー・ジャブヴァーラの英語小説『The Householder』を作家本人の脚色で映画化、1963年に長篇監督デビュー。その後もインドを舞台に英語作品を撮り、第2作『インドのシェイクスピア』(1966年)がベルリン国際映画祭の正式出品作品となって評判となり、銀熊賞と女優賞を受賞。その後、2本の映画をインドで録った後、BBCでドキュメンタリーを監督。1972年にアメリカに戻り、知り合いだったアンディ・ウォーホルのファクトリーの面々も参加したブニュエル風のカルト作『野蛮人たち』を撮り、カンヌ国際映画祭の監督週間に参加。その後もテレビ映画などをジェームズ・メイソンペギー・アシュクロフトら名優を招いて撮り、1977年にはミュージカル『グリース』のスタッフを招いた3話のダンス映画『ローズランド』で、ブロードウェイの舞台俳優や、スターになる前の若きクリストファー・ウォーケンを起用した。
1979年、ヘンリー・ジェイムズの小説『ヨーロッパの人々』を映画化した『ヨーロピアンズ』が評判となり、1981年はジーン・リースの自叙伝的小説『カルテット』をイザベル・アジャーニ主演で映画化、彼女にカンヌ国際映画祭主演女優賞をもたらし、共演のマギー・スミスにはイヴニング・スタンダード映画賞の主演女優賞に選ばれる演技を引き出した。以来、スター俳優が出演を熱望するようになり、1986年の大ヒット作『眺めのいい部屋』ではアカデミー賞3部門を受賞、続く『モーリス』ではヴェネツィア国際映画祭の監督賞を受賞。1991年の『ハワーズ・エンド』ではカンヌ国際映画祭35周年特別賞を受賞。以後も、現代もの、時代ものにかかわらず文化の衝突と違い、選択を迫られるヒロインといった基本的なテーマで作品を作りつづけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・アイヴォリー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 James Ivory (director) 」があります。




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