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ジェイムズ・ハドリー・チェイス : ミニ英和和英辞書
ジェイムズ・ハドリー・チェイス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェイムズ・ハドリー・チェイス : ウィキペディア日本語版
ジェイムズ・ハドリー・チェイス[ちょうおん]

ジェイムズ・ハドリー・チェイス(ジェームズ・ハドリー・チェイス James Hadley Chase 1906年12月24日 - 1985年2月6日)は、イギリスロンドン生まれの作家。本名はルネ・ブラバゾン・レイモンド(Rene Brabazon Raymond)。〔ハドリー・チェイス(James Hadley Chase) ハドリー・チェイスと簡略して表記される場合もある。
== 来歴・人物 ==
18歳で書店の店員をはじめ、出版製本販売関係の仕事をして、その経験からアメリカギャング小説の需要が多いのを知り、それに応えるべく作家になる決意をする。アメリカのスラング辞典を買って1938年、六週間で『ミス・ブランディッシの蘭(No Orchids for Miss Blandish)』を書き上げ、翌年、ロンドンのジャロルド社から刊行される。この作品はセンセーションを巻き起こし、後にアメリカ、フランスドイツスペインノルウェースウェーデンデンマークフィンランドカナダ日本南米ソ連で相次いで出版され、総発行部数、二百万部を超す大ベストセラーとなった。映画化もされ、芝居になりロンドンのウェスト・エンドで一年以上のロングランともなり、チェイスは作家に専念することになる。しかしこの処女作は第二次世界大戦下のイギリスに激しい賛否両論を巻き起こすことになる。小説に救いのないこと、作中のギャングの凄惨なリンチ、その他様々な場面などが問題となり、当局から発売停止の処分を受けることになるが、チェイスはこの作品によってハードボイルドのスタイルとその技巧をイギリスにもたらした最初の作家となった。小説の主人公がウィリアム・フォークナーの『サンクチュアリ』の影響を受けた性格像であると言われ、チェイスは『大衆のフォークナー』と称えられる。「大衆がそれを望み、愛しているので、私は彼らにセックスと暴力を売る、ただそれだけのことです。私は商業作家に過ぎません。」とチェイスは言い切っているが、文豪、ジョージ・オーウェルは、この作品について「無教養な三文文士が書くようなものではなく、一語の無駄もなければ、どこを探しても耳障りな雑音もない、見事な文章の作品」〔オーウェル評論集 ラフルズとミス・ブランディシュ-探偵小説と現代文化 岩波文庫 P242〕と絶賛し、他の評論家などにも次々と取り上げられた。発売停止後、1942年に改訂版が出され問題の個所が緩和されることになる。初版本は絶版になって本国イギリスでも寄こう本になって手に入りにくくなっており、日本でも創元社から出ている訳は改訂版によっている。
その後、チェイスはイギリス空軍に入るが、一年もたたないうちに空軍大尉に任官され、空軍部門の部外秘文書である英国空軍誌の編集責任者となったが、軍務の傍らにも次々に作品を執筆して人気を高め、終戦近くにはベストセラー作家としての位置を確立し、戦後はとくにフランスで大評判となり、おもにガリマール出版社から出版された。そしてチェイスはバッキンガムシャーの農場で長年暮らしてきたが、イギリスの天候を嫌って1956年南仏カップダイユに移住することになる。その後、単調な海辺暮らしに飽き、1963年以降はパリセーヌ川沿いの高級アパートの最上階に移る。しかし、フランス語で作品を書いてるわけではない。妻はロシアの指揮者、アルベール・コーテスの秘書を務めたことのあるシルヴィアという才媛で二人の間には息子が一人いる。
『世界をおれのポケットに(The world in my pocket)』が映画化された後、そっくりそのまま、犯行の手口を真似た犯罪が現実にサンフランシスコで起こったことがあったが、チェイスは「犯人たちが一割の礼金もよこさなかったのは残念だ。」とシカゴ・トリビューン紙で語ったという。
ペンネームをいくつか使い分けており、レイモンド・マーシャルアンブローズ・グラントジェームズ・L・ドチャーティなどがある。
好みの作家にグレアム・グリーンアレクサンドル・デュマを、影響を受けた作家にはアーネスト・ヘミングウェイダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーを上げている。
趣味の一つに旅行をあげているが、世界各国を訪れるたびに、その国を舞台にした小説を必ず書いている。アメリカの暗黒街や地方都市を背景にした作品も多いが、「アメリカはあまり好きではない。好きなのは自分の本の中のアメリカだ。」と語っている。
生涯に90作以上の作品を書いた。1985年2月6日没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェイムズ・ハドリー・チェイス」の詳細全文を読む




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