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ジェシカ・ドーン・リンチ(, 1983年4月26日 - )は、アメリカ合衆国の元陸軍上等兵で、イラク戦争中の2003年3月に捕虜となったが、無事に救出されて帰国し、「戦場のヒロイン」と喧伝されてメディアの注目を浴びた人物である。 ==概要== ジェシカ・リンチは2001年7月20日、アメリカ陸軍に入隊した〔ブラッグ『私は英雄じゃない』48頁〕。厳しい新兵訓練過程を乗り越えたのち〔ブラッグ『私は英雄じゃない』51-62頁〕、アメリカ陸軍需品科の第507整備補給中隊に配属された。 2003年3月23日、輸送部隊と共に前線へ向かう途中、中隊ごと南部ナシリヤ市に迷い込む。そこでイラク民兵の待伏せにあい、装備重火器はブローニングM2重機関銃一丁のみという中隊は〔ブラッグ『私は英雄じゃない』100頁〕、迫撃砲やRPG-7を投入したイラク民兵に圧倒された〔ブラッグ『私は英雄じゃない』97頁〕。激しい市街戦の末に11名のアメリカ軍兵士が命を落とす中〔ブラッグ『私は英雄じゃない』235頁〕、リンチが乗っていたハンヴィーは撃破された。後部座席に乗っていたリンチは重傷を負って気絶〔ブラッグ『私は英雄じゃない』106-109頁〕。他5名の中隊メンバーと共に捕虜となった。付近にいたアメリカ海兵隊が救援に向かったが、民家で発見したのは彼女の血まみれの軍服だけだったという〔ブラッグ『私は英雄じゃない』129頁〕。 4月1日深夜、アメリカ海兵隊・アメリカ陸軍レンジャー部隊による共同捕虜救出作戦により、イラク民兵司令部と化していた病院より救出される〔ブラッグ『私は英雄じゃない』170-174頁〕。同時に、特殊部隊は第507整備補給中隊9名の遺体を回収した〔ブラッグ『私は英雄じゃない』176頁〕。 彼女の救出時の映像はアメリカを始め、全世界のニュース番組で放映された。その後「ニューズウィーク」「ピープル」などの表紙を飾り、NBCによって「セイビング・ジェシカ・リンチ」というテレビ映画まで作成され、リンチはアメリカ軍の戦意高揚に貢献し、戦争支持者に勢いを与えることになった。4月3日付けワシントン・ポスト紙は、「彼女は弾薬を使い果たすまで勇敢に応戦した」と報道する〔ブラッグ『私は英雄じゃない』205頁〕。一方で、事件の詳細はわからず、リンチの「活躍」は噂にすぎない可能性があることも示している〔ブラッグ『私は英雄じゃない』206頁〕。 ジェシカ・リンチは8月27日付で除隊した。 10年後、米メディアはその後のジェシカ・リンチを取材し〔NBC News Iraq War 10 Years Later: Where Are They Now? Jessica Lynch 〕、除隊後にいくつかの大学から奨学生としての招待を受け、結果、ウェストバージニア大学に入学、のち幼稚園教諭の資格を取得、卒業した。現在は子供をもうけている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェシカ・リンチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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