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ジェシー・オロスコ : ミニ英和和英辞書
ジェシー・オロスコ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェシー・オロスコ : ウィキペディア日本語版
ジェシー・オロスコ[ちょうおん]

ジェシー・オロスコJesse Russell Orosco , 1957年4月21日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手。左投右打。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタバーバラ出身。
1979年4月5日のメジャー初登板から、2003年9月27日の最後の登板まで、通算24シーズン、1970年代1980年代1990年代2000年代の「4ディケード」にわたってプレイし、メジャー史上最多(2009年終了時点)の1,252試合に登板した救援投手。
== 略歴 ==
セントルイス・カージナルスからドラフト7巡目で指名されたが、入団せず、翌にでミネソタ・ツインズから2巡目で指名され入団。1979年2月7日トレードニューヨーク・メッツへ移籍し〔、同年4月5日にメジャーデビュー。
1979年とに2試合ずつ、合計4試合に先発したのを除けば残りはすべてリリーフでの登板であった。には62試合に登板して13勝7敗17セーブ、防御率1.47の好成績をあげ、オールスター初出場を果たし、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。
翌も10勝31セーブをあげて、2年連続でオールスターに出場した。1983年からの間は主にクローザーとして起用され、にはメッツのプレーオフ進出に貢献。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズ第7戦では、8番打者敬遠の後にダメ押しのタイムリーヒットを打ち、「胴上げ投手」にもなった。
ランディ・マイヤーズの台頭や球威の衰えによりリリーフエースを奪われた末、1987年12月11日ロサンゼルス・ドジャースに移籍〔 〔出村義和「リアルタイム話題の焦点 歴代最多の1072試合登板を達成した左腕オロスコの野球人生」『月刊メジャー・リーグ』1999年10月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-10、48 - 49項。〕。以後はセットアッパーとしての起用が増える。ドジャース移籍初年度の、55試合に登板して3勝9セーブ、防御率2.72を記録し、自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験。
翌にはクリーブランド・インディアンスに移籍。以後、にミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)、にボルチモア・オリオールズとア・リーグのチームを転々としたが、18年連続40試合以上、と1994年から1995年のMLBストライキでシーズン短縮となったを除けば50試合以上に登板するコンスタントな活躍を見せた。40歳となったには自己最多の71試合に登板し、6勝3敗、防御率2.32の大活躍。8月17日デニス・エカーズリーの通算1,071試合登板のメジャー記録を更新〔。
セントルイス・カージナルスに移籍し、12年ぶりのナ・リーグとなったが、この年は6試合の登板に終わり解雇。は13年ぶりにドジャースに移籍。には45歳で56試合に登板。にはサンディエゴ・パドレスニューヨーク・ヤンキースミネソタ・ツインズの3チームを渡り歩き、65試合に登板したが、この年限りで現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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