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ジェニファー・カプリアティ : ミニ英和和英辞書
ジェニファー・カプリアティ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェニファー・カプリアティ : ウィキペディア日本語版
ジェニファー・カプリアティ[ちょうおん]

ジェニファー・カプリアティJennifer Capriati, 1976年3月29日 - )は、アメリカニューヨーク市出身の女子プロテニス選手。パワーテニスを展開するベースライン・プレーヤーで、強力なフォアハンド・ストロークを持ち味とする。WTAツアーで4大大会3勝を含むシングルス14勝、ダブルスで1勝を挙げた。
== 来歴 ==
1990年3月、14歳の誕生日の2週間前にプロ転向を認められ、直ちにデビュー戦の大会でいきなり決勝戦に勝ち進んだ。プロ入り3大会目にして、カプリアティは世界ランキング25位に入る。4大大会初出場となった全仏オープンでも14歳2ヶ月でいきなりベスト4進出を果たし、その年に16歳6ヶ月で大会最年少優勝を飾ったモニカ・セレシュに 2-6, 2-6 で敗れた。続くウィンブルドンでカプリアティは「第12シード」に選ばれ、「14歳3ヶ月」で4大大会女子シングルスの最年少シード選手の記録を更新した。
その後も天才少女ぶりを発揮し、1991年に15歳でウィンブルドン全米オープンの2大会連続でベスト4に進出する。ウィンブルドンでは、前年に大会史上最多優勝記録「9勝」を樹立した前年優勝者のマルチナ・ナブラチロワを準々決勝で破り、さらに評価を高めた。1992年バルセロナ五輪で、カプリアティは女子シングルス決勝で第1シードのシュテフィ・グラフを 3-6, 6-3, 6-4 で破り、16歳の若さで金メダルを獲得した。しかし、燃え尽き症候群から過ちを犯してしまい、1993年全米オープンの1回戦敗退を最後に長期間テニスから遠ざかる。1994年5月16日にマリファナ所持容疑で逮捕されたカプリアティは、一時はテニス選手としての再起を危ぶまれた。
1996年テニス界に復帰。3年後の1999年頃からテニス成績も復調し始め、全仏オープンで6年ぶりの4回戦進出を果たす。同年の全米オープンでも4回戦まで勝ち進んだカプリアティは、敗戦後の記者会見で「過去との決別」を宣言し、6年間の歳月を経て燃え尽き症候群から回復した。2000年全豪オープンでは準々決勝で杉山愛を破り、初のベスト4に進出する。この時期、日本人のテニスコーチである中村豊がカプリアティのトレーナーを担当していた。
2001年全豪オープン決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-4, 6-3 で破り、少女時代に果たせなかった4大大会初優勝を実現させる。続く全仏オープンでも決勝でベルギーの18歳、キム・クライシュテルスを 1-6, 6-4, 12-10 で破り、4大大会に2連続優勝を達成する。2001年10月15日、ヒンギスを抜いて自己最高の世界ランキング1位になった。2002年全豪オープンではヒンギスにマッチ・ポイント4本を握られながらも、そこから逆転して大会2連覇を飾った。それ以後はウィリアムズ姉妹やベルギー勢などの台頭もあり、4大大会の優勝から遠ざかっている。
2003年は前年オフの目の手術などの影響で全豪オープンに初戦敗退を喫し、大会3連覇を逃す。同年の全米オープン準決勝でジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れた試合のように(決勝進出まであと2ポイントに迫りながらも逆転負け)、惜しい試合展開で4大大会決勝進出を逃すケースが多くなっていた。燃え尽き症候群からの回復後は、少女時代よりもはるかに強靭なテニスを繰り広げてきた。2004年全米オープン準決勝では、ロシアエレーナ・デメンチェワとの対戦で 0-6, 6-2, 6-7(5-7) で敗れ、最終第3セットのタイブレークを落とした。
この後、カプリアティは長引く肩の故障のため、2004年11月のアメリカフィラデルフィア大会の2回戦でベラ・ズボナレワロシア)に敗れた試合を最後に試合から遠ざかっている。その後、2005年から2007年までの間に3度肩の手術を受けた〔バド・コリンズ著の『テニス百科事典』2008年最新版・648ページの情報による。(文献原書名:“''History of Tennis: An Authoritative Encyclopedia and Record Book''” New Chapter Press, Washington D.C. (2008 Ed.) ISBN 978-0942257410)〕。
カプリアティは2012年に国際テニス殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェニファー・カプリアティ」の詳細全文を読む




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