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ジェノシデール(フランス語:''génocidaire'', 英語:genocidaires)は、本来は仏語で「虐殺者」を意味する語であるが、特にルワンダにおいては1994年のルワンダ虐殺下のジェノサイドに参加した者を指して用いられる〔「書評:Scott Straus, The Order of Genocide: Race, Power, and War in Rwanda」p.89〕。『ジェノサイドの丘』日本語版はジェノシダレと表記している〔「書評: フィリップ・ゴーレイヴィッチ著・柳下毅一郎訳『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』」p.47。〕。 == 背景 == ルワンダ虐殺では、フツ過激派に属するルワンダ軍、インテラハムウェやインプザムガンビといった民兵組織、あるいは一般の市民らによって、1994年4月から7月中旬までの約100日の間に100万人近いツチと穏健派フツが虐殺された。ルワンダ愛国戦線により1994年7月中旬に政府軍の全拠点が制圧されて虐殺が終結すると、ジェノシデールは逮捕されるか、または難民としてコンゴ民主共和国、ウガンダ、タンザニアなどの近隣諸国へ逃亡した。なお、同年6月中旬頃に行われたフランス語圏諸国の多国籍軍によるトルコ石作戦は、この「ジェノシデールの逃亡を手助けするだけのものであった」と虐殺後のルワンダ政府から非難がなされている。 この逮捕された者のうち、ジェノサイドの指導者層およびジェノサイドの組織化を行った者たちは、タンザニアのアルーシャに設置されたルワンダ国際戦犯法廷で裁判を受けることとなった〔http://69.94.11.53/default.htm International Criminal Tribunal for Rwanda〕。1996年5月に開始された同法廷は、2010年末までに全裁判を完了することを目標として裁判を進めている。また、虐殺に参加した者や、ツチの隣人の所有物を奪うなどして利益を得た者は2001年以降、ルワンダ国内の一般住民によるガチャチャにて裁判が行われることとなった。このガチャチャは10万人を超える膨大な数の囚人を減らすこと、民族の融和を国際社会に強調すること、4つの犯罪区分のうち最も重罪となる虐殺扇動者(カテゴリ 1)を除く犯罪者(カテゴリ 2, 3, 4)を大幅に減刑し、早期に釈放することで政権支持基盤を確保する目的があると言われている〔武内進一「正義と和解の実験 ルワンダにおけるガチャチャの試み」『アフリカレポート』第34号、pp.19。〕。 なお、一部のジェノシデールは現在でも逃亡を続けており、ルワンダ国際戦犯法廷により国際指名手配がなされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェノシデール」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Genocidaires 」があります。 スポンサード リンク
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