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ジェフ・フェネック(Jeff Fenech、男性、1964年5月28日 - )は、オーストラリアのプロボクサー。身長172cm。バンタム級、ジュニアフェザー級、フェザー級で3階級制覇を成し遂げたオーストラリアを代表する名選手。現役時代は無尽蔵のスタミナと一度打ち出したら止まらない連打、多少の被弾も恐れない強靭な精神力を武器に打ち合いを好む猛ファイターであった。ニックネームの「マリックビルの誘導弾」は、強烈な突進で徹底的に相手を追い回し、激しい打撃戦で多くの選手を沈めたことから名づけられたものである。プロ20戦目での3階級制覇は井岡一翔が2015年4月22日にプロ18戦目での3階級制覇を果たすまで世界最速記録だった〔井岡が世界最速「3階級獲ったぞ!」 一族の悲願成就に涙… スポニチ Sponichi Annex 2015年4月23日〕。 == 来歴 == 1984年、ロサンゼルスオリンピックボクシングフライ級に出場し、準々決勝で敗退した。 1984年10月12日、プロデビュー。 1984年11月30日、3戦目でオーストラリアスーパーフライ級王座を獲得。 1985年4月26日、7戦目でIBF世界バンタム級王者新垣諭(/奈良池田ジム)に挑戦し、9回TKO勝ちで世界王座を獲得した。 1985年8月23日、新垣諭と再戦し、4回TKO勝ちで初防衛に成功した。 1986年4月11日、元WBC世界バンタム級王者ダニエル・サラゴサ()とノンタイトルマッチで対戦し、3-0の判定勝ち。 1986年7月18日、スチーブ・マクローリー()と再戦し、14回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。 1987年3月、階級転向のため、IBF世界バンタム級王座を返上。 1987年4月2日、オーストラリアフェザー級王座を獲得。 1987年5月8日、WBC世界スーパーバンタム級王者サーマート・パヤクァルン()に挑戦。初回にキャリア初のダウンを喫するも、4回KO勝ちで2階級制覇に成功した。 1987年7月10日、グレグ・リチャードソン()と対戦し、5回TKO勝ちで初防衛に成功した。 1987年10月16日、カルロス・サラテ()と対戦し、4回負傷判定勝ちで2度目の防衛に成功。試合後、王座を返上した。 1988年3月7日、WBC世界フェザー級王座決定戦でビクトル・カジェハス()と対戦し、10回TKO勝ちで3階級制覇に成功した。 1989年4月8日、マルコス・ビジャサナ()と対戦し、3-0の大差判定勝ちで3度目の防衛に成功した。 1989年11月24日、階級を上げWBC世界スーパーフェザー級王座挑戦者決定戦でマリオ・マルチネス()と対戦し、3-0の判定勝ちで指名挑戦権を獲得した。 1990年5月、WBC世界フェザー級王座を返上。 1991年6月28日、WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソン()と対戦し、1-1の判定ドローで4階級制覇ならず。 1992年3月1日、WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソンと再戦し、8回TKO負けで4階級制覇ならず。キャリア初黒星となった。 1993年6月7日、カルビン・グローブ()と対戦し、7回KO負けでキャリア2敗目となった 1996年5月18日、IBF世界ライト級王者フィリップ・ホリデー()に挑戦し、2回TKO負けで4階級制覇ならず。この試合を最後に引退。 引退後、ジム「チーム・フェネック」を設立し、ビック・ダルチニアン、フセイン・フセイン、シャノン・テーラー、ダニー・グリーンなどを育てた。 2002年、国際ボクシング名誉の殿堂博物館に選出された(世界ボクシング殿堂にも選出されている)。 2008年6月24日、地元オーストラリアメルボルンで12年ぶりに復帰。16年振りにアズマー・ネルソンとラバーマッチで対戦。2-0の僅差判定勝ち。ネルソンも10年ぶりの復帰となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェフ・フェネック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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