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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェラルド・ジェームズ「ジェリー」・マギー(Gelard James "Gerry" McGee, 1937年11月17日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。ルイジアナ州ユーニス出身。ザ・ベンチャーズのリードギター兼ベース、ボーカル。 == 来歴 == 父親がケイジャンミュージック界で名の知られたバイオリン奏者ということもあり、幼少期からケイジャンミュージックやカントリー、ブルースといった音楽に囲まれた環境で育つ。この原体験が彼の音楽性の基礎と言っていい。ギターを始めたのは20歳からであるが、やがて彼はスタジオミュージシャンとなり、エルヴィス・プレスリー、ウィリー・ネルソン、ジョン・メイオールなど幾多のレコーディング、セッション、ツアーをこなすようになる。やがて伝説のバンドと呼ばれる「デラニー&ボニー」に参加して活躍するが、1968年にノーキー・エドワーズが脱退したベンチャーズのオーディションを受けてみないか、との友人の誘いを受け(それ以前にロサンゼルスの「シー・ウィッチ・クラブ」に出演していた際にメル・テイラーの実弟であるラリー・テイラーと共に「バンビーノース」として活動していたため、必然的にベンチャーズとの人脈は出来ていた)、結果加入することになり、デラニー&ボニーを離れる。ジェリーが脱退したデラニー&ボニーの後釜に座ったのがエリック・クラプトンであるが、ジェリーの在籍時に残した音源を聴いて非常に感銘を受け、カントリーミュージックやアメリカ深南部のブルースに開眼することになるのは、有名なエピソードである(今も二人の交友は続いており、時折セッションやステージで共演することもあるらしい)。 ベンチャーズに加入後は、それまでになかったリズム&ブルースやブルース、そして「京都の恋」や「雨の御堂筋」といった日本の歌謡曲的なメロディをもたらすなど、ベンチャーズのそれまでのスタイルに新しい息吹を吹き込んだ。 その後ノーキーの復帰に伴い、スタジオやセッションに再び活動の場を移すが、「ベンチャーズとは違う音楽性に挑戦してみたい」という意向でベンチャーズを離れたメルから声を掛けられ、ビル・リンカーン、ジョン・ダリル、そして現在ベンチャーズのツアーに参加しているボブ・スポルディングらと共に1973年に「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成。来日当時、“二つのベンチャーズが来日”と話題を呼ぶが、思ったような評価は得られなかった。 1984年、ベンチャーズにボブ・ボーグルが急病でツアーに参加できなくなったことから、ジェリーに白羽の矢が立てられ、ベーシストとしてツアーに参加。この年のライブではノーキーとのギターデュオや、リードギターをノーキーとスイッチするシーンが見られた。そして翌年、ノーキーが再びベンチャーズを離れることになり、ジェリーは現在もベンチャーズのリードギタリストとしてステージに立っている。なおジェリーはベンチャーズ自体は好きだったそうだが、意外なことにそれまでノーキーとは一度も会ったことがなく、面識はなかったのだが、この時のツアーで初めてノーキーと出会っている。しかしアーティスト同士すぐに馬が合い、関係がギクシャクすることは全くなかったらしい。 ベンチャーズの活動としての他にも、自らの「ジェリー・マギー・ブルースバンド」として、ジャパン・ブルースカーニバルに出演する他、B.B.キングと共演するなど、ベンチャーズとは一味違う演奏を披露している。ジャパン・ブルースカーニバル出演時には、自身の子息であるケイン・マギー(Pedestrianというバンドで活動、2009年現在脱退している模様)がドラムで参加している。 ソロアルバムは現在までに三枚リリースしている。ソロデビューとなった"Friends From A Distance"では、ゲストにリタ・クーリッジやボビー・ウーマックなどをゲストに迎えて、自身のルーツであるブルースやケイジャンミュージックなどを深く掘り下げ、スライドギターやブルースハープなども披露している。またその後もジャズやカントリーといった彼のルーツミュージックを幅広く取り上げた、枯れた味わいのある渋い演奏を聴かせている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェリー・マギー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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