|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェリー・ロイス(''Jerry Reuss'', 1949年7月19日 - )はアメリカ・MLBで活躍した投手。左投左打。 アメリカ合衆国ミズーリ州出身。 1969年の初登板から、41歳で引退する1990年までの22年間に8チームに所属し、「4ディケード」で登板した投手。 == 人物・来歴 == カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校で活躍し、1967年のドラフト会議でセントルイス・カージナルスに指名され、入団。 1969年9月27日に先発でメジャー初登板を果たし、7回を2安打無失点に抑えて勝利投手。 翌1970年には先発ローテーション入り。1971年には初の2ケタ勝利(14勝14敗)をあげるが、この年限りでヒューストン・アストロズに移籍。 1973年には16勝を挙げるが、ナショナルリーグ最多の117四球と制球力に課題があり、翌1974年にはピッツバーグ・パイレーツに移籍。 1973年から1977年にかけて、16勝、16勝、18勝、14勝、10勝と活躍するが、1978年に3勝に終わるとロサンゼルス・ドジャースに移籍。 自己最多タイとなる18勝をあげた1975年には18勝11敗、防御率2.54の成績でMLBオールスターゲーム出場を果たす。 ドジャース移籍後、1979年も7勝14敗と不調に終わるが、1980年には復調して18勝6敗、防御率2.54の成績で2度目のオールスター出場を果たし、カムバック賞を受賞。 6完封はそのシーズンのメジャー全体で最多で、その中には6月27日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で達成したノーヒットノーランも含まれる。 1回にショートのビル・ラッセルの悪送球がなければ、完全試合が達成されていた。サイ・ヤング賞の投票でもスティーブ・カールトンに次ぐ2位で、最高のシーズンとなった。逆に満塁本塁打9本を喫したシーズンでもあった。この記録は現在でもナショナルリーグワースト記録である。 翌1981年には50日間に及ぶストライキのためシーズンが短縮されたが、10勝4敗防御率2.30の好成績でチームのワールドシリーズ制覇に貢献。 ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発。 第1戦は初回に3点を喫し敗戦投手となったが、2勝2敗のタイで迎えた第5戦ではロン・ギドリーとの投手戦を制し、2対1で完投勝利を収めた。 ドジャースは続く第6戦も勝ち、ワールドチャンピオンとなった。 翌1982年は18勝、1983年も12勝をあげるが、1984年以後は故障がちとなり、14勝をあげて地区優勝に貢献した1985年を除いて目立った活躍はなく、1987年途中にシンシナティ・レッズ、さらにカリフォルニア・エンゼルスに移籍。 1988年にはシカゴ・ホワイトソックスに移籍するが、この年39歳で13勝9敗をあげ、通算200勝を達成。 1989年はシーズン途中にミルウォーキー・ブルワーズに移籍し、両チーム合計で9勝。 ブルワーズを解雇となり、1990年には古巣パイレーツと契約するが、わずか4試合に登板したのみでその年限りで現役を引退。 通算220勝をあげたが、シーズン20勝が一度もなく、通算200勝した投手としては史上2人目となった。ナショナルリーグチャンピオンシップシリーズでは一度も勝利投手になったことがなく、通算0勝7敗の成績で終了した。通算220勝、投球回数、奪三振、先発登板試合、完封、対戦打者(15,582人)はいずれも両リーグの100位以内にランクインしている。 現在はドジャース専属のスポーツキャスターを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェリー・ロイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|