翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェレミー
・ ジェレミー (ハイチ)
・ ジェレミー・アイアンズ
・ ジェレミー・アッカード
・ ジェレミー・アフェルト
・ ジェレミー・アボット
・ ジェレミー・アリアディエール
・ ジェレミー・アリソン
・ ジェレミー・アーヴァイン
・ ジェレミー・ウォザースプーン
ジェレミー・ウォリナー
・ ジェレミー・ウォーリナー
・ ジェレミー・エバンス
・ ジェレミー・ガスリー
・ ジェレミー・キャンプ
・ ジェレミー・クラークソン
・ ジェレミー・クリスティー
・ ジェレミー・クレマン
・ ジェレミー・グスリー
・ ジェレミー・ケンプ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェレミー・ウォリナー : ミニ英和和英辞書
ジェレミー・ウォリナー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェレミー・ウォリナー : ウィキペディア日本語版
ジェレミー・ウォリナー[ちょうおん]

ジェレミー・ウォリナーJeremy Wariner, 1984年1月31日 - )は、アメリカ合衆国の陸上競技選手である。2004年アテネオリンピック400m、4×400mリレー、2008年北京オリンピック4×400mリレーの金メダリストである。テキサス州アービング出身。
400メートル走では、白人選手としては1980年モスクワオリンピックビクトル・マルキン以来のオリンピックの金メダリストであり、アメリカの白人選手に限ってみれば1964年のマイケル・ララビー以来となる金メダルを獲得した。

== 来歴 ==
2001年にアメフトと陸上で迷った末に陸上を選んだ。アメフトでもスターになれる素質を持っていたが、その選択に間違いは無かったと言える。2003年にその年のジュニア世界ランキング1位となる45秒13(なお日本の山口有希が彼と同じ年齢で、45秒18のジュニア日本記録で同2位)をマーク。戦績は全米ジュニア、パンアメリカンジュニア、共に2位。
2004年、この年を皮切りに彼は鮮やかな変貌を遂げる。NCAA選手権、全米五輪トライアルと立て続けに勝ち、世界大会初代表。そのままアテネオリンピック本戦でも金メダルを獲得。一躍、新スターとして名乗りを挙げた。そのときの優勝タイムは44秒00で、マイケル・ジョンソン引退以降では、当時世界最高だった。
2005年世界選手権ヘルシンキ大会優勝(43秒93)。これは当時世界歴代7位であり、史上8人目の43秒台ランナーとなった。これは100mの9秒台、200mの19秒台と並んでスプリンターの大台だが到達者の数から言えばこの種目だけが極端に少なく、そこに大きな価値がある。
2006年、記録は43秒62まで伸び、世界歴代4位に浮上。陸上グランプリシリーズ最高峰ゴールデンリーグでも6戦全勝とし、ジャックポットを獲得した。
そして2007年、ストックホルムでのDNガランにおいて、43秒50の世界歴代3位タイの記録を出し、同年の世界陸上選手権大阪大会では、世界歴代単独3位となる43秒45の記録を出した。
2008年、全米陸上でラショーン・メリットに敗れ、2位。連覇を狙った北京オリンピックでは、準決勝で余裕をもって44秒15を出すなど、好調な様子を見せていた。しかし、決勝では直線入口でメリットに並ばれるとそのまま離され失速。最後はレースを諦めた形でフィニッシュ。2位は確保したが、1秒近い差をつけられての完敗だった。
2009年、2年ぶりに大阪国際GPに参戦。日本から金丸祐三も参加して45秒16の自己ベストで2位に善戦したが、44秒69で優勝。しかし、2007年(44秒02で優勝)の時よりは劣った。世界陸上ではワイルドカードで出場し、全米陸上の400mは欠場。その後シーズン無敗で迎えた世界陸上では
前年のWAF以来のメリットとの再戦となった。結果は最後の直線で突き放され、2位に終わった。シーズンベストは出したが、自己ベストには遠く及ばなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェレミー・ウォリナー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.