翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームス・ストーム
・ ジェームス・スピード
・ ジェームス・スミス
・ ジェームス・ズムワルト
・ ジェームス・セドン
・ ジェームス・セードン
・ ジェームス・タイナー
・ ジェームス・タイラー
・ ジェームス・タード・スミス
・ ジェームス・ダグラス
ジェームス・ダッドリー
・ ジェームス・ダン
・ ジェームス・チャドウィック
・ ジェームス・チャンス
・ ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
・ ジェームス・ティリス
・ ジェームス・テイラー
・ ジェームス・テイラー (ゲーム)
・ ジェームス・テイラー (曖昧さ回避)
・ ジェームス・テニー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームス・ダッドリー : ミニ英和和英辞書
ジェームス・ダッドリー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェームス・ダッドリー ( リダイレクト:ジェームズ・ダッドリー ) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・ダッドリー[ちょうおん]
ジェームス・ダッドリーJames Dudley1911年9月18日 - 2004年6月1日)は、アメリカ合衆国プロレス関係者。WWEにおいて、その前身WWWF設立前から深く関わり、1994年にはWWF殿堂に迎えられた。米国内における黒人の権利拡大にも貢献した。
== 来歴 ==
メリーランド州ボルチモア出身のアフリカ系アメリカ人ジェス・マクマホンビンス・マクマホン・シニアと親交があり、特にマクマホン一家がワシントンD.C.で活動していた時代(1940年代 - 1956年)に自ら営業していたアリーナを提供。当時のアメリカでは、彼の他にこのような大規模アリーナを運営しているアフリカ系移民の市民はいなかった。1960年代にはワシントンD.C.でのボボ・ブラジルの試合において、彼のセコンド役を務めていたこともある〔フレッド・ブラッシー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『フレッド・ブラッシー自伝』P203(2003年、エンターブレイン、ISBN 4-7577-1692-3)〕。
その後も終生WWFに尽くし、1983年にビンス・シニアが息子ビンス・マクマホンにWWFを売却する際には、彼とフレッド・ブラッシーの永久雇用が条件付けられるなど、その信頼は非常に厚かった。
なお、WWEやECWで活躍したダッドリー・ボーイズとは同姓であるがなんら関係性は無い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・ダッドリー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 James Dudley 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.