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ジェイムズ・ロングストリート(James Longstreet、1821年1月8日-1904年1月2日)は、アメリカ合衆国南北戦争の南軍で傑出した将軍であり、ロバート・E・リー将軍の片腕であった。リーはロングストリートのことを「オールド・ウォー・ホース」(年寄りの軍馬)と呼んだ。 == 概要 == ロングストリートはリーの下で東部戦線の北バージニア軍の1軍団を率いて多くの名高い戦闘に参戦し、また西部戦線ではテネシー軍でブラクストン・ブラッグ将軍と共に戦った。伝記作者で歴史家のジェフリー・D・ワートは、「ロングストリートは...北バージニア軍で最も優れた軍団指揮者であった。事実、かれは疑いもなく両軍の戦闘で最善の軍団指揮者であった。」と書いた〔Wert, p. 405.〕。 ロングストリートの将軍としての才能によって、第二次ブルランの戦い、フレデリックスバーグの戦いおよびチカマウガの戦いで、攻撃的なものも防御的なものも南軍の勝利に意義有る貢献を果たした。また、七日間の戦い、アンティータムの戦い、さらに重傷を負うまでの荒野の戦いでも目立った戦果を挙げた。テネシー州ノックスビルで半ば放任した指揮をした時は、南軍にとって手痛い敗北になった。ロングストリートの戦時行動の中で議論が多いのは、ゲティスバーグの戦いの時にリー将軍の採った戦術に同意できず、ピケットの突撃と呼ばれる歩兵による悲惨な攻撃を躊躇して見過ごしたことである。 ロングストリートは戦後も外交官、公務員および行政官として合衆国政府のために働いた。しかし共和党に鞍替えして古い友人であるユリシーズ・グラントに協力したこと、また戦時のリー将軍の行動について批判的なコメントを書いたことで、昔の南軍の同僚の多くからは忌み嫌われる人となった。南軍の敗北の原因について書いた人々はゲティスバーグでのロングストリートの行動が、南軍が戦争に負ける主要原因となったと強調していた。ロングストリートの南部における評判は1世紀以上も悪いままであり、やっと最近になって再評価がゆっくりと始まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェイムズ・ロングストリート」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 James Longstreet 」があります。 スポンサード リンク
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