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ジェームズ・チャーチワード : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・チャーチワード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェームズ・チャーチワード : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・チャーチワード[ちょうおん]

ジェームズ・チャーチワード(、1851年2月27日 - 1936年1月4日)は、アメリカ合衆国在住のイギリス人でムー大陸についての著作を書いた作家である。
父ウィリアム・チャーチワードが1890年に『ブルックリン・タイムズ』土曜版に沈んだ大陸についての投稿をしたとされ、ジェームズは父の遺志を継いだという。また。1931年4月20日アメリカ心霊現象研究協会(ASPR)で講演会を行なうなど心霊団体にも関わっていた。講演録は、ハンス・ステファン・サンテッスン『ムー大陸の理解』(1970年)に収録されている。1936年1月4日、84歳のときロサンゼルスで講演中に倒れ死亡。墓はニューヨーク郊外にありムー帝国の紋章が刻まれている。
== 主張 ==
チャーチワードは、1868年インド(又はチベットミャンマー)でイギリス陸軍に所属していた際、寺院の僧に絵文字のある粘土板(チャーチワードはナーカルとよぶ)を見せられたという。1880年にイギリス陸軍大佐で退役し、この絵文字を解読したところ、ムー(チャーチワードによると発音はMOO)大陸の聖なる霊感の書であったという。友人のウィリアム・ニーヴンがメキシコで発見した石板を見せられた際にナーカルと同じ絵文字があったことがムー大陸の著作をするきっかけとなったという。絵文字はマヤのトロアノ絵写本、チベットラサ記録に記載されていたという。
だがその後、マヤのトロアノ絵写本は解読され別内容と判明、チベットのラサ記録は偽造文書であった事が発覚した。また、イギリス陸軍にも在籍の記録がないため、大佐での退役を始めとする軍歴は総て詐称とみなされている(経歴を信じるならば、16歳ですでに陸軍在籍、陸軍大佐で退役したのは28歳ということになる)。これらの事実のほかにも数多くの矛盾点が見出されている事から、ムー大陸の存在は学問的には完全に否定されている。
ちなみにムー大陸の「ムー」とはチャーチワードが解読したとするナーカル文字に「ムー」という解読不能な言葉が繰り返されることから命名されたもので、「ムー大陸」という大陸があったという意味ではない。おそらく英語の「THE」のようなものと解釈される。ムー大陸の証拠とされるイースター島モアイ像などがあるものの、地球物理学の観点から「太平洋に沈んだ大陸は存在しない」ことが証明されている。
現在では、チャーチワードは白人優越主義者であり、この一連の主張も、その主義の裏づけとするべく創作されたものとする声が強い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・チャーチワード」の詳細全文を読む




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