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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェームズ・バートン(James Burton, 1939年8月21日 - )は、アメリカのギタリスト。ルイジアナ州のミンデンの生まれ。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第20位、2011年の改訂版では第19位。 ==プロフィール== 幼い頃からギターに触れ、ルイジアナ・ヘイライドを目指すようになる。 10代中ごろからプロのギタリストして活動を始め、1957年にデール・ホーキンスが発表した「スージーQ」で一躍注目される。この時、まだ15歳であった。特徴的なギター・リフもジェームズが考えたもので、ほとんどの部分をバートンが作曲したと言ってもよい。 その後、ボブ・ルーマンと組んだが、その公演でリッキー・ネルソンの目に留まり、ネルソンのバンドで活躍する。ネルソン宅に1年間ほど居候したこともあるほど個人的にも仲がよかったが、次第に「ネルソンばっかりは嫌だ」として、バンドを脱退。その代わりにジョー・オズボーンを後任として紹介した。 その後、エルヴィス・プレスリーのTCBバンド・リーダーに任命され、1969年から1977年までのエルヴィスのステージのリード・ギターを勤めた。エルヴィスはジェームズに他のメンバーの人選も任せたため、ジェームズはセッション仲間であるジェリー・シェフ(ベース)やグレン・ハーディン(ピアノ)を推薦した。ただし、1969年のステージではピアノはラリー・マホーバラックだった。エルヴィスからは「最もすごいギタリストの1人」と評されている。TCBバンドはステージ専用であったが、ジェームズのみスタジオ録音にも参加した。このエルヴィス中心の活動の合間にジョニ・ミッチェルの『バラにおくる』(1972年)、グラム・パーソンズの『GP』(1973年)及び『グリーヴァス・エンジェル』(1974年)といった作品へのセッション参加などの仕事をした。 エルヴィスとスタジオにいた時、バートンはフェンダー社が「使って欲しい」と送ってきたギターを開封していた。その中にジョージ・ハリスンが使った事で有名なオール・ローズ・テレキャスターがあった。ジェームズは重くて音も気に入らなかったが、エルヴィスがそれを見て「すごく立派なギターだな」と感心した。ジェームズが手渡すとエルヴィスもあまりの重さに驚愕したという。ジェームズはフェンダーに断ると、エルヴィスに進呈すると言ったが、エルヴィスもこれを断った。さらにチップ・ヤングに譲ろうとしたが、チップもこれを断った。 エルヴィスの死後はジョン・デンバーやエルヴィス・コステロ等と組んで活動した。 現在でも「エルヴィス・イン・コンサート」で、エルヴィスの歌に合わせて70年のオリジナル・メンバーたちと演奏を続けている。 現在、バートンが使用しているのは3ピックアップの「ジェームズ・バートン・テレキャスター」である。一般のテレキャスターと違い、リア・ピックアップはブリッジ・プレートにマウントされず、すべてボディに直接取り付けられている。そのため、ブリッジ・プレートはオリジナルの形状となっており、ピックアップは金属製ではなく、樹脂製のカバーが取り付けられている。ブラック&ゴールド・ペイズリー、ファイヤー・ペイズリーなど、ペイズリー柄を奇抜にアレンジした塗装である。ボディにはスワンプ・アッシュやバスウッドなど軽い材が使われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェームズ・バートン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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