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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェームズ・マードック(James Murdoch、1856年9月27日 - 1921年10月30日)は、日本とオーストラリアで教師として働いたスコットランドの学者、ジャーナリストである。東京帝国大学などで教え、大著『日本歴史』を著した。マードックが教えた人物には夏目漱石がいる。 ==教育== マードックは、スコットランドのアバディーンに近い、ストーンヘイブンで労働者(雑貨商とも)の子として生まれた〔Australian Dictionary of Biography Online 〕。11歳になって初めて村のグラマー・スクールに通い始めたが、飛びぬけて記憶力のいい子供だった〔Murdoch(1856-1921) Mearns.org.uk 〕。アバディーン大学の奨学金を獲得して入学し、古典文学で優秀な成績を修め、学士号、修士号を得た〔。その後、ウスター大学、オックスフォード大学、ゲッティンゲン大学、パリ大学で学んだ。ゲッティンゲン大学では、テーオドール・ベンファイからサンスクリット語を学んだ。会衆派牧師の娘Lucy Parkesと結婚し、ギリシャ語教師としてアバディーンへ戻る〔。24歳で研究生活をやめ、オーストラリアに移住した。 1881年から1889年までオーストラリアで過ごした。クィーンズランドのメリボロー・グラマー・スクールの校長に就任したが、無神論的な考え方や結婚生活の破綻などから経営陣の不興を買い、1885年に解雇される〔。その後ブリスベーン・グラマー・スクールで2年教えた後、学校をやめ、同じくイギリス労働者階級出身の移民で社会運動家のウィリアム・レインが創刊した政治雑誌『Boomerang』の記者となった〔。当時はオーストラリアの労働運動が盛んになってきた時期で、マードックも急進的な社会改革思想に傾倒していた〔〔。ジャーナリストとして労働者階級の過酷な生活条件の改善がされないと、オーストラリアに革命が起こり社会主義の独立共和国が形成されるという記事を書いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェームズ・マードック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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